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世界の闇が深すぎて眠れない

世界の闇が深すぎて眠れない 其の後
1968年生まれ
齢も55歳、それなりに経験も積み重なるわけで
今から25年前
母を看取ったあと 結婚し長男をもうけて
離婚し
長男をひきとってシングルファーザーもやった
シングルファーザー期は 今思えばモテ期だったかも
そんな中 シングルマザーの女性と出会い結婚もしたな
まぁまぁ長い間付き合って、元シングル同士で上手くいくと思ったが 離婚した
大概の離婚はどちらか一方が圧倒的に悪いわけじゃあない
俺も悪かったし向こうも悪かった ただそれだけ
犠牲になるのは いつも子供達だった
息子にはいつも思ってた
「いいお母さんを見つけてあげたい」と
この思いが強すぎて なんか 焦りもあったかな
家事は苦手じゃなかった
料理は母が生きていた時、手料理を振る舞うこともあり、褒められて嬉しかった
胃がんで胃を全摘した後、「病院食は美味しくない」と言ってたのを聞いて ある日 母がよく作ってくれていた炊き込みご飯を作って持っていったら 「美味しかった」と言ってタッパー1つたいらげてた
本当に嬉しかった
シングルファーザー時 息子は保育園児で 運動会の弁当も頑張って作ったな
給食はなくて手弁だったから毎朝作った
パソコンに当時作った弁当や朝晩の食事の写真が残ってる
当時は男女共同参画社会をうたいながら
母子家庭には助成があったのに
父子家庭には何もなかった
当時の会社の従業員としての手取りはおそらく今のアルバイトの手取りと変わらないくらいの額だったな
地域では大きい方の製材所。時代的に中国から安く木材が入るから日本全国的に製材所は零細企業のたぐいだった
今 思うと、我ながら本当によくやりくり出来てたなと思う
息子も中学生になる頃には3度目の結婚をした
しかし この頃の息子は荒れた
学校に呼び出され 校長室に呼ばれ
そして 担任の先生に連れられ
迷惑をかけた生徒の自宅を一軒一軒周り土下座してまわった
忘れもしない
しかし
これは 俺が息子から母親を奪った報いなんだと
きっと息子も母を失った時は
心をズタズタにしていたはずだ
帰ってこない母親を
保育園から帰ってきて 夕暮れの窓に座り
目に涙いっぱい溜めて こらえてた
何日もそうして目も頬も腫れていた息子の顔は
今も忘れない
息子の為なら
本当になんでもしたな

長くなりました
シングルマザー シングルファーザーの皆さん
生きづらい世の中ですよね
頑張れとは言いません
でも 家族の為にやれることがあるなら
やらないと
家族って 存在してくれるだけで生き甲斐です
生きづらい世の中は日本の政治のせいですよ
政治にも目を配らないと
選挙には行きましょう
ひとまず今日はここまで

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