見出し画像

毎日が地獄です

毎日が地獄です 頁参
誰かのことを 自分の事のように思う
この考え 気持ち は 母譲り
思えば  母は 不遇の人生でした
母に言わせれば 違ったかもしれませんが
私の家族は 両親 姉4人 私 弟の8人家族
幼い頃は 多分 貧乏な方の家庭だったと思います
当時は市営団地 狭小 2LKの間取りの住まい
私が小学上級生の頃には上の姉2人はそこを出て 気がつけば6人家族
この頃からは 父は 酒を飲んでは暴れるを
続けていきます
母は暴れる父をなだめながら 私ら子供を玄関から出して団地の踊り場に避難させます
今でも思い出します
この後のことは こちらの記事になります

上の記事から 飛んで
私が 父 を追い出した後 母は苦労して 家を買います
まだ 介護職 という言葉の無い時代
「高齢患者の付き添い看護」の仕事をしながら
家を買ったけど 週の半分は 病院で寝泊まり
キツイ仕事だったと思います
しかし 母の仕事ぶりは 病院と 看とった患者さんのご家族からの信頼と仕事への高い評価があり
母を指名で仕事が途切れることがありませんでした
「自分のことより人のこと」
自分のことをするのと同じように 他人にも接した 母 でした
家を買って数年もたたないうちに 母 は癌を患います
病院に居るのに すぐそこに医者 先生が居るのに
自分の事より患者さんの世話を続けていました
ある日 勤務中の母に用事で会いに行った時
「胃が痛い 薬を飲んでも痛い」という母に 「先生に見てもらい すぐそこに居るんやから」
それから ずっと しばらくしてから
私がそこの 先生 に呼ばれた
先生から「お母さんは 癌 です」
まさに「ガーン」と頭を殴られたような衝撃でした いや 笑い事じゃなくて
こういう時「ほんとに頭ガーンってなるんやな」って 本当に体験し驚きました
スキルス性胃癌でステージ3〜4
余命は聞かされませんでしたが 胃の全摘手術
その後も何度かの手術をしましたが
半年後に 母は その生命を全うしました
その後はこちら

母は 不遇でした
息子の私はそう 思ってますが
母は どう思ってるのかな?
去年 新築した家のリビングの壁掛けテレビの横には 造り付けの仏壇があります
そこに 母 は居ます
新しい家でも リビングに母に居て欲しかったんです
母が生きてる時に出来なかった 親孝行 のまねごと 
喜んでもらえたら 幸い なんだけど

今夜は これまで
おやすみなさい


#毎日
#地獄
#母
#不遇
#家
#新築
#仏壇
#リビング
#幸い
#親孝行
#息子
#癌
#ガーン
#スキルス癌
#ステージ
#介護職
#付き添い看護
#病院
#患者
#看護
#生命
#毎日が地獄
#毎日
#地獄

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?