見出し画像

ナイフを扱えるようになるには。

「道具を使ってモノづくりをする際には、〝見る〟機会が不可欠だ。
これが、いまの子どもたちには圧倒的に不足している。
年齢や発達の段階に応じて、できること/できないこと、実践するにはまだ早過ぎること…がある。
まずはおとなや、少し上の年齢の子どもたちが実践している様子を〝見る〟こと。
それが技術習得の土台となる」。

昔ながらのモノづくりや手しごと(だけでなく、実際には幅広い分野を横断している)の大家に、お話をうかがう機会に幸運にも恵まれた。
ものづくり〝体験〟にばかり、意識が向きがちだったわたしは
大いにハッとさせられた。

道具を使い、自分の手でモノをつくる機会に、現代の子どもたちが恵まれているとは言えない。
わたしが子どもの頃から、既にそうだった。
そんなふうに、機会自体が貴重であるためか
モノづくりを包括的?に捉えることが出来ていなかったけれど
言われてみれば、何事もいきなり実践から入るケースは少ない。

例えば、ナイフを使ってモノをつくる、ということ。

もちろん、ひとはケガや試行錯誤を経て、扱い方を覚えていくのだけど
はじめから、刃物を実践的に使い始めては
我流の癖がついてしまったり、自他ともに取り返しのつかない大けがを負わせてしまったりするかもしれない。

じゃあ、どういう流れであれば、ナイフの技術習得と
それによるモノづくりが可能になるのか。

まずは、年長者が正しくナイフを使っている様子を〝見る〟。
それも1回きりではなく、できれば定期的・日常的に。
そうやってひたすら観察し続けている間に、頭の中で実践のイメージが徐々に形を成し
併せて、「自分もいつか使いたい。使ってやる!」というモチベーションも、湧いてくる。
そして、いざ実践のタイミングで
ためてきた実践のイメージと、モチベーションが結実し
技術習得=ものになる。

それならば

〇多様な年齢の入り混じったコミュニティ
〇モノづくりを始め、いろんな手しごとを目にする日常風景

…が、子どもたちの育つ環境の一部として
ごく自然に、含まれていたら

いい感じなんじゃないか…(#´・ω・#)ポッ

一般的な現状に当てはめると

例えば、公教育の『学年』というヨコ割りを、もう少し弾力的にできたら。
例えば、公教育にもっと余白をつくって
職人さんをはじめ、地域の多様なおとなたちと子どもが、時間を共有するゆとりを生み出せたら。

素敵だろうなあ…(#´・ω・#)ポッ

この記事が参加している募集

子どもに教えられたこと

子どもの成長記録

よろしければ、ぜひサポートをお願いいたします。 電話代をはじめ、「教育行政かわら版」の取材経費にあてさせていただきます。 100円などでもとっても助かりますし、お気持ちを大切に巡らせたいと思います。