「なぜタイムラインは誰かを常に糾弾し、連合赤軍は仲間をリンチし続けたのか」という話
さて、ここ一週間は國分功一郎『暇と退屈の倫理学』を再読するシリーズ(その延長で『中動態の世界』『責任の生成』も取り扱った)を書いてきたのだけれど、なぜ突然そんなことをはじめたのかというと、月曜日に久しぶりに彼とゆっくり話す機会があったからだ。それはPLANETSCLUBで、國分さんが講師を引き受けてくれた柄谷行人についての入門的なオンライン講座で、質疑応答では率直に國分さんの柄谷解釈について質問することができた。
そこで、國分さんと僕との間で議論になったのは、「共同体」についての問題だ。要するに國分さんは共同体回帰の流れに肯定的で、僕は否定的なのだ。
さらに言えば、左右を問わず今日の思想的な「流行」は、共同体回帰によるグローバル資本主義批判に傾いている。したがってグローバル資本主義の最先端にあり、象徴的な存在であるSNSプラットフォームをこれらの共同体回帰の言説は左右ともに強く、批判する。プラットフォームは個人に発信能力を与え、強く人間に「個人」であることを意識させる。吉本隆明的に述べればユーザーの「自己幻想」はかつてなく肥大する。そしてユーザーは他のユーザーにリプライを送り、自己の投稿にタグ付けすることで、つまり「対幻想」を用いて自己幻想を強化する。あるいはタイムラインの潮目を読み投稿することで、つまり共同幻想の一部になることで自己アピールを行い、自己幻想を強化する。
今日においては対幻想も、共同幻想も自己幻想の一部に過ぎない。このかつてないレベルで実現された個人主義の時代に、左右の「良心的な」(と自称する)人々は警鐘を鳴らす。そして、個人がプラットフォームによってグローバルな資本主義という限りなく世界と同義の(当然、正確には異なるのだが……)ゲームボードにいつの間にか乗せられ、プレイヤーと化している状況から離脱するために、個人と世界(正確にはグローバルな「市場」)との間に、中間的な「共同体」を再構築しようとする。
家族、職場、組合、宗教の集まり、趣味のサークル、そして地域の共同体……こういったものを再興することで、肥大した自己幻想を抑制するーーそれが彼らの指針だ。背景にあるのはドナルド・トランプ的なインターネット型のポピュリズムの台頭への危機感だ。個人がそのアイデンティティの確認と、世界に対する手触りを切実に、だからこそ性急に追求したときに、排外的なナショナリズムにコミットすることが、もっともコストパフォーマンスに優れた選択になることは、繰り返し確認した通りだ。これを抑制するために時代の針を巻き戻して共同体に回帰しよう、というわけだ。
しかし、残念ながら僕は共同体への回帰を選ばない。なぜならば、実のところプラットフォームと共同体は、むしろ共犯関係にある、と考えるからだ。
柄谷行人は、共同体とは要するに言語ゲームの問題だと述べる。
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