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【読み切り短編】うっかり野郎とサイコパスOL

 平日の何気ない朝。鵜狩進はいつも通り出社していた。
 すると、営業部のオフィスに、珍しく総務部長の頓智喜太郎が顔を出した。
「ちょっとそこの君、来てくれないか」
 部長は、柏木彩子という事務職の女性にそう声をかけた。
 まずい、よりによって彼女を御指名とは。穏やかだったオフィスの空気は、一瞬にして凍り付いた。
 それもそのはずである。
 彼女は、まだ入社して2年目の新人にもかかわらず、冒した失態は枚挙に暇がない。
 いつしか、彼女はこう呼ばれていた、「営業部のサイコパスOL」と。


「はーい、どうしましたぁ?」
 柏木は絵に描いたような内股で、部長に駆け寄る。進はその様子を固唾をのんで見守った。
「近々、コピー機を買い替えることになってね。ここに設置しようと思うんだが、寸法を測ってくれないか」
 部長は壁際の柱とシュレッダーの間のスペースを指さした。
 いくら小さな会社とはいえ、何もそんな事の為にわざわざ部長が来なくても、と進は心の中でため息をついた。
「はーい」
 柏木はゆったりとデスクからメジャーを取り出し、そのスペースにあてがう。
「えーとぉ、ここの長さは、長さはぁ」
 長さは、そう言ったまま彼女の動きが止まった。
「どうしたんだね、早く寸法を教えてくれないか」
 部長にそう促されると、柏木はメジャーの目盛を見つめたまま、ぼそりと答えた。
「長さは、まさみです」
「はぁ?」
 彼女の思わぬ答えに、部長の口から上擦った疑問符が漏れた。
「長澤……まさみです」
 何を言い出すんだ、こいつは。進はそう叫びそうになるのをぐっとこらえ、部長の反応を待った。
「何を言っとるんだね、私はここからここまでの寸法をだね……」
「長澤……まさみです!」
 部長の言葉を遮り、柏木は先程より語気を強めてそう言い放った。嫌な汗が、進の背中をつたう。
 案の定、怪訝そうな表情を浮かべる部長。
 柏木はメジャーを仕舞い、部長の方へと向き直る。彼女の強気な視線と、部長の鋭い眼光が真正面からぶつかった。
「君……」
 部長が静かに息を吐き出す。とうとう、柏木がクビ宣告を受ける日が来たか、そう思った直後だった。
「君、長澤まさみなのかね」
「はぁ?」
 今度は進の口から、素っ頓狂な声が上がった。
「そうです。私が長澤のまさみです」
 柏木は堂々と肯定する。
 すると、部長はおもむろに、懐から手帳を取り出した。
「率直に言おう、ファンだ。ここにサインを書いてくれたまえ。頓智部長へ、と添えてね」
 嘘だろ、サイン求めだしちゃったよ。進はあきれて頭を抱えた。
「わかりましたぁ。ここにサインすればいいんですね」
 柏木は何食わぬ顔で手帳を受け取ると、背表紙の裏にボールペンを走らせた。


「ちょっと待ってください部長、だまされちゃだめだ!」
 たまりかねた進は、ガタッと音を立ててデスクから立ち上がった。
「その女は長澤まさみじゃない! この会社の事務員です!」
 進がそう言い放つと、部長はゆっくりと首を傾げた。
「何を言っとるんだね。私は長澤まさみの大ファンなんだ。見間違うわけがないだろう」
 部長は、何かの暗示にでもかかってしまったのだろうか。これは何としても目を覚まさせなければ、と進は決意を固めた。
「よく見てください! 明らかに、長澤まさみよりもブスだ! スタイルも悪い! どこが長澤まさみですか、似ても似つかない!」
「い、言い過ぎだろう。かわいらしい顔をしているじゃないか」
 部長の顔に、はっきりと動揺の色が浮かぶ。あと一歩だ、もう少しでこちら側に引き戻せる。
「何を言ってるんですか、どう見てもブスです! それに長澤まさみは9頭身、その女は6頭身だ! 顔のデカさがまるで違うでしょう!」
 進はここぞとばかりに畳みかけた。興奮して荒げた声は、おそらく他部署にまで響き渡る声量だ。
 部長は血相を変え、進をオフィスの隅に手招きした。


「部長、わかってくれましたか?」
 してやったり、といった表情で進がそう尋ねると、部長は大きく頷いた。
「無論、わかっているさ。あの子が長澤まさみじゃないことくらいね」
 部長の口調は冷静だった。さっきまでの態度が、まるで嘘だったように。
「なら、どうしてサインまで書かせてるんです。あんなのに、付き合ってやることないじゃないですか」
 進の問いかけに、部長は観念したように首を折った。ふう、と一つ息を吐き、語り始める。
「これは私の贖罪なんだ」
「贖罪?」
 部長は真剣な眼で頷く。
「まだ、この会社ができて間もない頃の話だ。あの頃は私と社長、あと一人事務の女の子がいるだけでね。毎日毎日、仕事に明け暮れていた」
 どんだけ遡るんだよ、と心の中で悪態を突きつつも、進は耳を傾けた。
「当時、私には妻と産まれたばかりの娘がいてね。でも、忙しさにかまけて全く相手をしてやらなかった」
 進の脳裏に、先日産まれたばかりの愛娘の顔が浮かぶ。彼は思わず感情移入し、部長の話に聞き入った。
「娘の顔すらまともに見れない、そんな生活をしていたある日だった。置手紙を残して、妻は出ていったよ。まだ2歳にも満たない娘を連れてね」
「そんな事が……」
 部長はこくりと頷く。
「私は必死で二人を捜したが、どこへ行っても見つからなくてね。気が付いたら、20年以上が経っていた。そんな時だよ、彼女が面接会場に現れたのは」
 部長は柏木の方に視線を送る。
「まさか……」
「そう、あの子は私の娘だ。もっとも、向こうは私が父親であることは知らないがね」
 部長の言葉を聞き、進の中で今までの様々な出来事が繋がった。
 柏木は今まで数々のミスをしてきたが、全くのお咎めなしだったこと。
 そして、コピー機の買い替えなんてつまらない案件で、わざわざ部長が顔を出したこと。
「静かに見守るつもりだったが、随分と職場に迷惑をかけているようだからね。こうして見に来たんだ」
 部長は申し訳なさそうに目を伏せる。
「だからね、君は気にしなくていいんだ。あの子が、自分を長澤まさみだと思い込んでしまったのは、私の責任だ」
 部長は進の肩をぽんと叩き、柏木の元へ向かった。


「長澤まさみ君、書けたかねサインは」
 部長がそう声をかけると、柏木は「出来ましたぁ」と言って手帳を差出した。
「どれどれ、見させてもらうよ」
 手帳の背表紙を開く。
 その瞬間、部長の顔色が変わった。ハッとした表情で、彼女を見つめる。
「これ……」
 部長は彼女の書いたサインを指さした。
 頓智部長へ、そう書いてあるはずの場所には、お父さんへ、の文字があった。
「気づいていたのか……」
 柏木はその目に涙を浮かべ、頷いた。
「うん、この会社に入った時からね」
 まさかの展開に、進は息を飲んだ。
「最初は、仕返ししてやろうって思った。お母さん、私を育てるためにずっと苦労してきたから。だから、わざと商談相手に失礼なこと言ったり、お茶ぶっかけたりしたの」
 やりすぎだよ。お父さんより、こっちの方が大ダメージだわ。そんなツッコミが、進の頭の中に木霊した。
「でも、お父さんは黙って庇ってくれてたんだよね。今だって、私がこんなに変なこと言ったのに、ずっと付き合ってくれた」
「彩子……」
「お父さん、今までごめんなさい」
 二人は泣きながら抱き合った。二十数年の時を経て、二人に親子としての時間が戻ってきたのだ。

 こうして、この物語はハッピーエンドを迎える。そう思った直後だった。
「ところで君、さっきは娘にずいぶんなことを言ってくれたね」
 部長の射貫くような視線が、進めがけて飛んできた。
 進は自分の言動を振り返り、あっと頭を叩いた。
 ブス、スタイルが悪い、顔がデカい。自分の吐いた罵詈雑言が、走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
「あの、えーとですね、それはあくまで部長を正気に戻そうとしての言葉で……」
「ほう、ではあれは本心ではなかったと?」
 進は壊れたおもちゃのように、何度も首を上下させた。
「そんな言い訳が通用するか!」
「ひぃぃぃ」
 まるで蛇に睨まれたカエルのように、進は膝を折り、四つん這いになった。
「申し訳ございませんでした」
 その言葉と共に、頭を床に擦り付けた。見事な土下座の完成だ。
「君は謹慎だ! 明日から会社に来なくていい!」
「ま、待ってください!」
 進は驚いて顔を上げた。すがるような視線を部長に送る。
 しかし、その視線を遮る様に、突然何かが目の前に差し出された。
 涙でぼやけた視界の中、目を凝らすと、そこには〝御出産祝〟の文字が書かれていた。
「娘さんが産まれたんだってね、おめでとう」
「へっ」進は目を丸くした。
「謹慎というのは冗談だ。でも、本当に明日から来なくていいよ」
「それってどういう……まさか、クビでしょうか?」
 進が驚いてそう尋ねると、部長は笑い声をあげてかぶりを振った。
「何を言っとるんだ。ゆっくり、育児休暇を取りなさい。私のようにならないためにね」
「部長……」
 気が付くと、進の目には大粒の涙がこぼれていた。
「実はね、今日はこれを渡しに来たんだ。娘を見に来たのは、そのついでだった。まさか、こんな形で渡すことになるとは夢にも思っていなかったがね」
 部長は祝儀袋をそっと進に手渡した。
「部長、ありがとうございます。娘さんにあんなひどいことを言ってしまったのに、水に流してくれたんですね……」
 進の言葉に、また部長の表情が変わった。
「それとこれとは話が別だ。育児休暇が終わったら、じっくりと話を聞かせてもらおうか」
「そ、そんなぁ」
 ハッハッハという部長の笑い声と共に、オフィス内は拍手に包まれていた。



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