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#中国で行方不明者になりかけました 

カナダ生活11年目のWakeiです。

前回に引き続き、ちょうどいい機会なので「#私だけかもしれないレア体験」の中国旅行編をお話ししようと思います。

前回のNoteで、大学4年の留年した夏休み2か月を利用してヨーロッパにバックパッカーで一人旅をした話をしました。

そして、その翌年、私は2度目の留年をしました。
結局、私は6年かけて大学を卒業したわけですが、その理由についてはまたいつか機会があればお話ししたいと思います。

そんなわけで大学生活最後の6年目の春休みは、卒業式までの休みを目いっぱい使って、近くて物価も安そうな中国に一人旅することにしました。

一番カルチャーショックを受けた中国

35年くらい前の中国ですから、もちろん現代の中国とは全く違います。
個人旅行が解禁され、バックパッカーで中国を旅行できるようになった時期です。

当時は交通機関や入場料など、格安な中国人料金に対し、割高な外国人料金の2種類の料金設定がされてあったり、外国人が宿泊できる場所にも制限がありました。

この時期に中国を訪れた外国人は、中国は遅れている、貧しい、とにかく人が多く、不衛生で、カオスと感じたでしょう。同時に中国や中国の人に対して優越感を感じたり、小金持ち気分になった人は多かったと思います。

男性は紺や緑の人民服、女性は綿入のみんな似たようなジャケットにズボン姿(冬だったので)の人が多く、服装だけで「外国人だ」と判別できたくらいです。また田舎がまるで古い時代を題材にしたカンフー映画のセットのようだったことにも私は本当に驚きました。

留年期間を利用してヨーロッパ、ニューヨークに行くことができましたが、私が一番カルチャーショックを受けたのはまさに中国でした。

35年前の中国一人旅

①上海→武漢 (フェリー)

さて、私は中国語は全く話せませんでしたが、ラッキーなことに旅行直前に中国人留学生と知合いになりました。しかも彼とその友人も偶然同日に中国に帰国する予定でした。

ならばということで、上海から彼らの故郷の武漢までフェリーの船旅、いっしょに行ってもいいですか?と聞くと「いいよ」と言われたのでとりあえず、上海→武漢ルートが決定しました。

中国は情報も少なく、未知の国。言葉の問題もあるし、一人旅に不安も大きかったのでとても助かりました。

彼らと一緒だったおかげで、フェリー一泊二日の船旅は一等室に中国人料金で乗ることができましたし、武漢での宿泊、観光も付き合ってもらい、武漢での2日間は一生の思い出です。
今はコロナで有名な武漢ですが、私にとっては懐かしい街です。

②武漢→西安 (長距離バス)

そして、いよいよ本格的な一人旅が始まりました。

武漢から私が次に目指したのは西安です。
中国人留学生に中国人料金で長距離バスのチケットを買ってもらい、西安に無事着くことができました。バスが到着したのは夜で、西安の巨大な城壁と明りの薄暗い広場に響く早口で大音量のアナウンス、荒々しく行きかう人たちの雑踏に圧倒されました。

一刻も早くその場を出なければという気分で、タクシーで予定のホテルに着いたときはホッとしました。

その後は「地球の歩き方」を頼りに始皇帝の兵馬俑などを見て回りました。兵馬俑は内容がすごいのに観光地としてはまだ地味でしたよ。
きっと今ではすごく快適に大迫力で公開されているんでしょうね。

西安はもっとゆっくり観光したかったのですが、2週間の中国旅行ですから、そうもしてられません。

③西安でつまずく (飛行機乗れず)

西安から次に目指すのは北京です。
ここは時間短縮のために国内線の飛行機を利用することにしました。

西安の市街地から西安の空港までバスで移動しなければならなかったんですが、バスの乗り換えが必要だったのか、中途半端な町で降ろされました。

よく事情がわからないまま、このとき選んだのが輪タク。(正式な呼び方はわかりません)自転車で2人乗りの車を引っ張る乗り物です。

一度乗ってみたかったし、輪タクの兄ちゃんが「OK,OK!」と行ったので乗ったんですが、「西安空港」ではなく、案の定またまたわけのわからない場所で降ろされました。地理がわかっていないので距離感もわからないのです。

そんなアクシデントを繰り返しているうちにだんだん陽が暮れてきました。「いざとなったら、タクシーじゃー!」とタクシーに乗って、ようやく西安空港に着いた頃にはもう陽が落ちてあたりは真っ暗になっていました。

空港の中に入ってカウンターに行こうとすると、旅客もいないし、係員たちも帰り支度でいなくなっていくと思ったら、「空港もクローズなので出てけ」と言われました。

④どうする?私

これにはかなりショックを受けました。
なぜなら、空港さえ辿り着ければ、安全な空港で寝たらいいと思っていたからです。

ようやく空港までたどり着いたのに締め出されて、私は一体どうしたらいいんでしょう。

空港の外は真っ暗、空港は町から離れたところにあるし、街灯も少ない昔の中国の夜は本当に真っ暗なんです。

しかも誰もいない・・・・

下手に動くよりも空港の建物の外で一晩なんとか過ごすしかないのかなぁ、
でもここにはトイレもない、水もない、寒空でテントもないし、野宿なんて到底無理!そんなのできない! どうしよう、私?

と思っていたら、空港から小柄な中国人男性(40代ぐらい)が一人、小型のキャリーケースを引きずりながら出てきました。

そして電信柱の明りの方へ迷うことなく歩いていきます。

まわりにはまさにその男性しかいません。

この男性にとにかく着いていくしかない!それしかありません。

そしてその男性と3mぐらいの距離を保ちながら、ひたひたと無言で着いていきました。それ以上離れるとその姿すら見失いそうな暗さです。

⑤一夜にして人妻になる

その男性が向かったのは小さな「招待所」でした。
招待所は中国人向けの簡易宿泊所で安いんですが、基本外国人は泊まれない場所です。

そこで私はその男性に近づいて筆談で「今日泊まるところがない」と伝えると彼が「ここに泊まればいい」と言ってくれました。
そして、彼が招待所の受付で私のことを「妻」と書いて記帳してくれたので、すんなり泊まることができましたのです。

この招待所は簡素で男性ゾーンと女性ゾーンに分かれていて、男女別に簡易ベット室、共同トイレ、共同洗面所を利用します。
妻扱いにされたときはびっくりしましたが、男女別だったし、なんとか泊まるところに辿り着けたのと、外国人が泊れない招待所に泊まれることができて、さっきまでの不安も忘れて嬉しかったです。

⑥私、中国残留孤児になるかも?

さて、翌日ですが、未だ私はどこにいるのか、さっぱりわかりません。
今なら携帯でササっと調べたり、電話したりできますが、当時は携帯もインターネットもありません。

電話すら見当たりませんし、どこに掛けたらいいかもわかりせん。
タクシーもないし、バス停もバスも全くわかりません。
なんといっても言葉が全くわかりません。

結局、翌日もその男性に着いていくことにしました。
不安なときに見知らぬ人に親切にされると、その人に手っ取り早く依存してしまうのでしょう。
彼は西安の市街地に行くらしく、私も市街地にまで行けばなんとかなんとかなるかもしれません。
この田舎・農村のど真ん中を出ない限りは埒があきません。

彼と一緒にバスに乗ってしばらく行くと彼はバスを降りて、簡易アパートのようなところを予約をしました。
そして「今日はここに泊まるんだよ」と彼は言います。
このアパートのような場所は完全に個室です。
さすがにこの状況は私にとってマズイんじゃないでしょうか?

そして彼はキャリーケースをその部屋に残し、手提げかばんを持つと
「これから西安の市街地に行くよ」と言いました。
私たち二人でまたバス停に戻り、バスに乗りました。
この時点でも私はどこにいるのか、さっぱりわかりません。

この無口な小柄な中国人男性のみが私の生命線だったのです。
でもこのままこの男性と一緒にいたら、私はどうなるんだろう?

さらにどこにいるのか、全くわからなくなって、日本語を話すこともできないまま、日本にも連絡が取れず、日本に帰ることができなくなって、中国行方不明者になって・・・・

広大な中国に飲み込まれて中国残留孤児になったりして・・・

そんな不安がどんどん湧いてきます。
心臓がドキドキしてきます。

⑦脱出

バスに乗っているとだんだん町が近づいてくるのがわかります。
建物や屋台も増えて、人の数も増えてきます。バスの乗客もいっぱいになってきました。

西洋風の建物も出てきて、完全に西安の中心街に出てきたようです。

立ったままバスの窓から外の様子を観察していると、一瞬日本人男子学生風のグループが歩道を談笑しながら歩いているのが見えました。

この時しかチャンスはありません!

バスが次のバス停に停まると、その中国人男性の顔を見ることもなく、背中のリュックが人の間に挟まって動きにくいのを力まかせで押しのけて、必死でバスの乗客をかき分けて飛び降りたのです。

路上で立ち止まって待っていると、陽気な日本人男子学生グループが歩いてきます。
この時ほど日本人の彼らの存在を心強く思ったことはありません。

それまでの緊張がスーッと抜けました。

彼らに事情を話して、今どこにいるのかを聞いたり、彼らが泊っている宿舎に遊びに行ったり、私自身も鉄道の駅に近いホテルを取ることもでき、一気にそれまでの一人旅の緊張モードが解けました。
その日の夜は彼らと西安の鍋を食べたり、帰りにホテルの前の屋台のシシカバブーを食べたり、楽しかったな。一人旅だと鍋は食べにくいしね。

⑧西安→北京 (電車)

翌日には鉄道の硬座車(中国の庶民の座席)で西安から北京まで12時間ぐらいかけて行きました。
飛行機に乗らなかった分、時間は掛かったけど費用は節約できたし、電車に乗るのも初めてで、楽ではありませんでしたが、カルチャーショックが大きく面白かったです。

無事北京にも着き、北京での観光を楽しんで日本に帰国しましたが、予定よりも遅れての到着となりました。

この旅行で北京の頤和園で撮った写真

一人旅で少しだけ冒険したい

中国で中国残留孤児になるかも?というハラハラした中国一人旅でした。

それにも懲りず、中国には興味と縁があって、社会人になってから中国へ3か月の語学留学もしています。ですが、学生時代以降、私が国内・海外に一人旅をすることはほぼなくなりました。

女性の一人旅は周りを警戒したり、常に安全面に神経を使います。
今までの一人旅でも一歩間違えば、死んでいたかも、行方不明になっていたかも、レイプされていたかも、ということはあります。
学生時代の私の一人旅は準備不足で無謀なところがありましたから。
幸い重大な事件、事故がなかったのは運がよかったのでしょう。

一人旅って緊張するし、時には寂しいし、割高だったり、怖いし、誰かと一緒の方が安心して楽しめるから、長らくしたいとも思ってませんでした。

でも今回こうして昔の旅を思い出しながら、Note を書いたら、また一人旅を少しだけしたくなりました。
普段とは違う様々な局面で自分がどう判断し、行動するのか、ちょっと見てみたい気がします。

それと憶病になりすぎてる自分にちょっと喝を入れたい気分。

#私だけかもしれないレア体験 になるような旅行は遠慮するとして、今年こそは一人旅に挑戦してみたいです。カナダ国内の三日旅行でもいいや。
2023年の有言実行プランは一人旅です。

今回は私の長々しい文章にここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。心から感謝します。

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