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日本人の壁画のあるカナダの町にキモノで行く

英語力ゼロで始めたカナダ生活も10年目のWakeiです。

ようやく雪も落ち着いたので外出してみました。向かった先は壁画の町シュメーナス。人口4000人未満の小さな町なんですが、町の至る所に壁画があり、その壁画が町の歴史を現わしている、とてもユニークな町です。

かつて住んでいた日本人たち

この町の壁画には日本人の絵も2つあります。一つは晴着姿の日本女性の壁画。もう一つは日本人で初めてボーイスカウトに入ったこの町の男性の壁画です。↓

Edward Shige Yoshida

シュメイナスには1900 ~第2次世界大戦前に、日系人約300人が住んでいて、日本人コミュニティーがあり、町の材木工場や漁業関係で働いていました。

この絵↓はその材木工場のお祭りの山車コンテストで日本人グループが一位を取ったときの様子です。着物もお嬢さんたちも華やかで綺麗ですね。

シュメイナスを訪れる日本人観光客には、
こうした日本人壁画を気づかない人が多いです。是非探してみて欲しいです。

当時は英語もよく話せない人も多かっただろうし、人種差別もあったなか、日本人移民のカナダ生活は大変だったでしょう。そんな中、日本人同士で助け合って、日本人としての自尊心を失わず、地域に馴染んで役立とうとしている様子が感じられます。

2019年の地元新聞より・第二次世界大戦前の学級写真
シュメイナスでは日本人比率も高かったようです。何人いるかわかりますか?
実際の記事は「シュメイナスの博物館には他にも写真があります」程度の内容でした。

日本参戦が変えた日系人の運命

ところが、第二次世界大戦に日本が参戦すると日本人は敵性外国人として、日本に帰国するか強制収容所に行くかを迫られ、家も財産も没収されました。許されたのは一人手荷物2つのみ。当然のことながら、こうした大切な着物も手放さざる得なかったでしょう。

後に残った家や家財は勝手に格安で売却されたり、略奪されたり、壊されたり、火をつけられたりされました。さらに強制収容所に行った日本人は戦後4年間は、住み慣れた町に戻ることは許されませんでした。

そんな戦前、戦後をカナダで過ごした日系の方の書いた手記には、第2次大戦の日本参戦を機にカナダ人の態度が急変したことにショックを受けたとありました。
それまで仲良くして信頼していたカナダ人もどうすることもできないばかりか、態度を一遍する人もいたようです。突然、日本人と言うだけで露骨に迫害され、すべてを失う悲しみは計り知れません。

カナダに根ざした日本人と過去を受入れたカナダ人

カナダでそんなつらい体験をし、収容所生活後、経済的に振り出しにもどった日系人ですが、世代を経て各方面でカナダ人として活躍しています。日系の先人の皆さん、凄いですよね。

デヴィッド・スズキ(David Takayoshi Suzuki 1936年3月24日 - )カナダの生物学者
収容所体験。2004年「現存する最も偉大なカナダ人」に選ばれました。
カナダ人なら誰でも知ってる有名人(ウキペディアからお借りしました)


シュメイナスも材木の町から、小さいけど今ではユニークな観光の町となりました。日本人の歴史も町の歴史の一部として、町の壁画に書き留められましたし、新聞にも載っていたように「日本人もシュメイナスの一員だった」という姿勢で、小さな町の博物館に日系人の資料も残しています。

町によっては、かつて暮らしていた日本人の痕跡に全く興味を示さない町もあります。

そんな両方の町を見ると、日本人の存在をきちんと認めているこのシュメイナスの町に好感を持つのです。そして、この壁画に着物を着て会いに行きたくなるのです。「また来たよ」って。

同時にこの日系人の歴史も壁画も多くの人に知って欲しくなるのです。

帰りに温まるためにパブに寄りました。着物を着て、イングリッシュ・パブでスパニッシュ・コーヒーを飲んでたら、初老の奥さん同伴の男性が陽気に「どこから来たの?」と声を掛けてきました。

今は本当にいい時代です。

大きな暖炉と甘くてブランデー入りコーヒーで心も体も温まります。

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