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情緒

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「忙しそうだね」も「大変そうだね」も、あちゃ!そう思わせちゃったかあ!と思う。想像されるより私は静的だしめちゃくちゃ休むし、何より余白がある人間でいたい。私からみても他人から見ても。昔はスキのある人になるまいと思ってたけど、今は人が入ってくれるスキを持った人でありたい。

近況報告がてら親や友人にnoteを読んでもらうことが増えた。心を開いたら、愛が返ってくる。そういう循環が回る。それだけでも文章を書くことに大きな価値があるね。

毎日が新鮮で、物を描きたくなる瞬間が沢山ある。書く。人目を気にして下書きのまま置いてしまう。いっそほぼ日刊にしたら楽しいんじゃないか。毎回試すように文章を出すから苦しいんじゃないか。生きるように書く。生きるように出す。文章はナマモノなので、明日には気持ちが変わるかもしれない

らっこと、嫉妬

らっこと、嫉妬

「昨日さ、友達とらっこの話しててんけど」
梅ソーダを吸いながら彼女が言った。

「らっこ?なんなんそれ」
「いや、その子がらっこめっちゃ好きみたいで2時間くらい話した」

いやごめん、どういうこと?

試しにどんな話だったのかと聞いてみる。そしたら、らっこの進化がめっちゃ可愛くて、貝殻を割る石のためにポッケができたらしい、らっこって漂流せんためにみんなで手繋いで寝るらしい、みたいな話を楽しそうに話

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死にたいんじゃない、生きていたくないのだ。

死にたいんじゃない、生きていたくないのだ。

死にたいほどつらい日々ではないけど、ただ思うときがあるんだ。

私は生きているのではなく、死んでいないだけかもしれない。そして、死にたい訳でもなく、ただ生きていたくないと願っている。

この鼓動が止まることを渇望している訳ではない。誰かがビルから飛び降りたニュースは他人事だ。自分の心臓をナイフで刺すための握力すらない。明日も私は変わらず目を覚ます。

ただ、思うときがあるんだ。
この混沌と続く毎日

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あの頃、私は「真面目」に殺された

あの頃、私は「真面目」に殺された

先日、母と私の子供の頃の話をした。


小学校高学年になる頃、私は母に「わたし、真面目って言われるのが嫌い」とこぼしたそうだ。なんとなく記憶にはある。
母はそのときに、あぁこの子は真面目な子なんだなと思ったらしい。

今振り返ると、何事にも真面目な子だった。

習い事のダンスではセンターを取り、水泳は大会でメダルを取るほど練習に没頭した。ダイエットを始めると、好きな雑誌のモデルのBMIを超えるほ

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普通にも特別にもなれないなんて

普通にも特別にもなれないなんて

だったら一体、私は何者なんだろう。

いわゆる「普通」。
普通の家庭に生まれて、普通に学校に行って、普通に大学に進学して、普通に就職して、普通に20代のうちに結婚して、普通に子供を生んで、普通に暮らす。普通の幸せ。

それが「普通」なのだとしたら私は普通を知らない。私だけじゃない。きっと多くの人が、何かしらの普通から外れて生きている。と願いながら私は今日も生きている。

いわゆる「特別」。
ちょっ

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一年前の大量服薬を振り返って。

一年前の大量服薬を振り返って。

去年のまだ半袖を着ていた頃、大量の薬を口に入れた。つまりODだ。これは単なる記録ではなく、実体験をもとにした私からの強いメッセージ。

コロナウィルスがいよいよやばいという情勢の中、仕事の疲れがたまり、芸能人の訃報が続き、長い梅雨が明けた頃だったと思う。体調を壊すには充分すぎる条件が揃っていて、私は在宅ワークをいいことに鬱々とソファーと一体化しながらキーボードを叩いていた。

そんなある日、とある

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孤独に結論なんていらない

孤独に結論なんていらない

私は孤独だった。

私たち夫婦はとある問題を抱えながら関係を続けていた。それも年単位で。

その問題の解決法は明快ではなくて、分かりやすい解決法は残酷なもので、思わず目を背けたくなってしまう。それでも目を背けたくない問題だった。その問題すら、紛れもなく私たちを説明する要素のひとつだから。

例えば、自分が問題を抱えたときに他人に求めることは何だろう。

「聞いてよ」
「助けてよ」
「こんなことがあ

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離婚して、人生置いていかれた

離婚して、人生置いていかれた

離婚して振り出しに戻った、そう思った。

23歳で婚約して24歳のときに結婚した。周りと比べると随分と早かった。この先何十年もこの人と添い遂げるのだという実感はなかったけど、ひとりの人生じゃないことに安心した。同時に女のライフステージを着実に進んでいることへの安堵もあった。これからの人生を何となく描ける状態にいる自分にも満足していた。漠然とではあるけど、確かに、私は幸せのスタートを掴んだのだった。

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幸せそうなあいつは「自己中」で「鈍感」だった

幸せそうなあいつは「自己中」で「鈍感」だった

摂食障害がよくなる方法は意外にもシンプルだったりする。

「自己中」で「鈍感」になること。

自分が好きなことをして、
自分が好きな人に会って、
自分の好きな場所に住んで、
自分の好きなものを食べる。

そう、自分の意思を取り戻すことだ。

今まで知らず知らずで我慢していつしか殺してしまったものを、もう一度自分の中に芽生えさせることなのだ。

「世間体」「親目線」「友達目線」「自分」今まで、色んな

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「お母さん、私子供やりなおすね。」

「お母さん、私子供やりなおすね。」

(※3年前の記事をリライトし、後書きを追記しています。)

「お母さん、私子供やりなおすね。」

25歳秋、そう母に告げた。

"子供" がいつ頃を指すのかも、何を指すのかも知らないけど、とにかく私は自分の記憶の中に存在しない "子供らしい子供" を追体験することを母に宣言した。

それが自分への癒しのプレゼントであり、母と子の自立であり、私自身がこれからの人生を歩いていくために避けて通れない道だ

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オンナとして見られるということ

オンナとして見られるということ

29歳になって思うのは「楽になったなぁ」ということだ。

この歳になってようやく「オンナとして見られる」とか「男からは好かれるが女から酷く嫌われるポジション」みたいな機会が減った。

特に学生の頃は、自分の女性性や容姿が人生を困難にさせた。

女からは対等に見られることはなく、大抵ファンクラブができるくらい崇められるか、イジメや噂の標的になった。そんなで私も女を全く信用していなかったように思う。お

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