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わかおの日記137

ずっと天才に憧れている。スポーツ、芸術、お笑い……。何らかの才能を持つひとはみなキラキラして見える。「どうしてこんな難しいことができるんですか?」と訊かれたときに、「いやあ、どうしてっていうか…気付いたらできてました」と答えてみたい。ぼくの崇拝する村上春樹も小説を書く練習などしたことがないと言っていたし、カネコアヤノだって音楽理論など全くわからないらしい。

ちくしょう、ぼくはどうしてこうも凡庸な人間なんだろう。運動神経は並以下、唯一得意だと思っていたはずの勉強だって、慶應に辛うじて引っかかるレベルである。他に胸を張れるような才能は何もない。天才に憧れて、テスト前には必ず「今回全然勉強してないわ~、まじヤバイ」と言いながらいい点を取っていた。でも本当は、こそこそ頑張って勉強をしていた。擦られまくったあるあるの正体はぼくです。殺してくれ。

「死ぬほど努力して、何回も間違えてようやくできるようになりました」なんて格好悪いことは言いたくない。そう思っていたら、この間テレビで新庄監督が同じことを言っていて、なんだか複雑な気持ちになった。

そんなまごうことなき天才の1人、常田大希に密着したドキュメンタリー「常田大希 混沌東京 -TOKYO CHAOTIC-」をネットフリックスで観た。King Gnu の格好いい方の人である。彼はmilennium parade(通称ミレパ)という別のバンドもやっていて、そっちではより作家性の強い音楽を作っている。友人から「ミレパの新曲聴いた?」とたまに訊かれることがあったが、そのたびにぼくは「難しすぎてよくわからなかった」と答えていた。それくらいすごいバンドである。わからないってなんだよ。わからなかったら逆に音楽としてダメだろ。

まあもう常田は才気走っていた。天才感がビンビンに出ていた。いろんな楽器を超上手に演奏するし、1つの曲に150種類の音を重ねるとかいう意味の分からないことをやっていた。めちゃくちゃ煙草も吸うし、食べ方も汚いし(これだけはぼくと一緒だ)、挙句の果てには綾野剛とつるんでいた。これらは間違いなく天才の証である。

どうして音楽界の天才たちは、みんなそろいもそろって綾野剛とつるむのだろう。ぼくも文豪になって、綾野剛とつるんでみたい。渋谷とかのお洒落なバーで、なんだか難しい名前のお酒を飲みながら「若生くんの小説はさあ、すごく命を削って書いてるカンジするよね」というような漠然とした感じで褒めてもらいたい。いつになったらそんな日は来るのだろうか。まず小説を書くところから始めなくてはならない。





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