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主体的な人生 〜私的進路の決め方〜

こんにちは、wakanaです!
価値観語る系投稿第二弾は、色々考えた結果いわゆる”普通”から外れてしまった私が”今の”進路を決めた方法や考え方について書きたいと思います!

<まず簡単に私の進路が決まるまでの脳内回路>

私が進路を考え始め、決めたのはコロナパンデミックあたりの時期、中学3年生の初めくらいでした。まあ一般的な将来を考え始める時期なのかなと思います。将来何がしたいかを考えるとき、皆さんは「好きなこと・興味のあることは何か」を考えるでしょうか?「できることは何か」を考えるでしょうか?
私は好きなこと・興味のあることってなんだろう、特に何の科目が好きなんだろうと考えました。何となくそれらがわかってきたところで、自己分析ついでに当時読み漁っていた自己啓発本に載っていたACTバリュートレーニングをやってみました。そして自分の価値観が言語化されてわかったところで、「どんな人生を歩みたいか」「どんな人になりたいか」と考えて、今の進路に決めました。

<日常生活では・・>

常に自分は何が好きなのかなあとアンテナを貼ったり、自分が楽しいと思えた出来事や瞬間を見逃さないよう意識したり、自分が例えば会社で営業として働いているイメージができるか?というように、将来自分が社会人として生きている姿を想像してみたりというのはよくしていた(る)ことの一つです。違和感を感じては、別のトピックが好きかどうか自分に聞いてみたり、別の想像をしてみたり、とその繰り返しで徐々に自分の将来図が見えてきたように思います。

<夢や進路を周りに言うか言わないか問題>

よっぽどこの人だけには知られたくない、という人を除いて基本的に自分の将来について隠す必要はないんじゃない?と思います!
周りに言うことで一種のアウトプットにつながり、再度自分自身に確認する機会が持てます。そして、むしろ周りの大人(ここでは一旦家族以外ということにします、もしかしたら別記事で!)には言うべき!と思います。その大人たちの知人に自分の将来のキャリアに繋がる人がいるかもしれないし、何かコネクションをくれるかもしれないと思うのです。もちろん「お前には無理だ。」と言ってくる人もいます。そういう時は、見返してやる、と思えばより努力できます、笑 というかそういう人は大抵すぐにこちらが言ったことを忘れています。
かくいう私も、もとはといえば誰にも言いたくないタイプの人間でした。受験戦争の激しい日本で、どこの大学に行きたい、などはなかなか周りに言えたものではないということは大変よく分かります。もし叶わなかったら恥ずかしい、そう思うのは当然だと思います。私も、微塵も恥ずかしいと思わないわけではありません。でも、色々あって変わって、〇〇って言ってなかったけ?と聞かれたら、変わったんだ〜笑、でいいよねと、半ば開き直りみたいですが、思いました。読んでいた本に高確率で夢は言った方がいいと書かれていたことやどこかでそう聞いたことがあったということから、高校留学時、別に誰も私のこと知らないんだからどんどん言っていこうと決めました。実際、現地で聞かれたら、隠すことなく答えていました。その時言っていた大学と進学予定の大学は違います。ホストファミリーに報告すると、〇〇って言ってなかったけ?と聞かれました。「あ、そうそう、やっぱりこっちがいいって思ったんだよね〜(略)」というように普通に答えました。納得のいかない変化であったとしても、それはそれであっけらかんと説明すれば良いのではと思います。事実なので。笑
日本では同じことを長く続けることが美徳とされているように思います。でもたかが&されど自分の人生です。周りにどう思われたっていいじゃないか。

<最後に>

偉そうに語ってきましたが、私だって1年後、5年後、10年後何しているかはわからないです。極端な話、興味のあることが変わったら学部を変えたって大学を変えたっていい!というくらいに思っています。そういう意味では進路は一度決めたら終わりというものではないし、早いも遅いもないと思います。
私は主体的な人生にしたい、というかその方が楽しい!と思うタイプなので「どんな人生にしたいか」は常々考えているかもしれません。

ここまで読んでくださりありがとうございました!
皆さんはどのように進路を決めてきましたか?

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