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不登校の話

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現在、社交不安障害で半分引きこもりな生活をしている20代後半の私の、不登校時代の話です。 なるべくして不登校になり(そう思っている)、後悔はしていないけれど、それなりに悩んだ自分…
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居場所としての学習塾。

居場所としての学習塾。

先日、テレビで紹介されていた、学習塾プリマ。
基本的には学習塾なのですが、積極的に不登校の子も受け入れています。
塾にありがちな、勉強して良い学校を目指す、という雰囲気ではありません。
アットホームで、自分のペースで勉強をしていこうというスタンス。
テレビで紹介している所からは、フリースクールと塾の中間みたいな感じに見えた。

前にも書きましたけど、若宮は不登校経験者です。

若宮が小学生の頃は、

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不登校と病院

不登校と病院

前提として、不登校は病気ではありません。
ここはハッキリと主張したい。

昭和の時代、不登校は不良だ、怠けだと言われてきました。
平成に入ると、それは少し緩和してきたけれど、今度は不登校は病気だと言われるようになった。
若宮が小学生の頃、不登校の知り合いから「無理やり病院に連れて行かれた」
または親御さんから「心配だから病院へ連れて行った」という話を良く聞きました。
当時の若宮は、なんてひどいこと

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不登校の話①

不登校の話①

人見知りの激しい子どもだったと思う。
親の後ろに隠れて、言いたいことが言えずにもじもじしていた。ポイズン。
けれど気が小さいというのも違った。
男兄弟がいたせいか、男の子ともケンカしたし、絶対に負けてやるものかとむしろ気が強かったと思う。

不登校というか、保育園の頃からあまり通っていなかった。
月の半分くらい通って、あとは休んでいた。
男の子にからかわれたり、ケンカしたりしたけれど、同じくらい仲

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不登校の話②

不登校の話②

小学1年生のそれも前半から不登校だったけど、あまり家にこもっていることはなかった。
学校行事があれば担任が誘ってくれて、母が付き添ってくれれば教室にも行けるし、クラスメイトが笑顔で迎えてくれるから楽しく過ごせるし。
スクールカウンセラーが居て、その人とお話しに学校へ行くこともあったし、特別支援学級の仲間に入れてもらう事もあった
毎日通うことはなかったけれど、行きたければ行く、嫌なら行かない、と自分

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不登校の話③

不登校の話③

小学生時代は大体、家に居たりフリースクールへ行ったり、学校に出来た相談室へ行ったりしていた。
どこへ行っても主に本を読んでいるんだけど。
学校の図書館が大好きで、授業で使用している時や休み時間とかを避けて行っていた。
図書館の先生が仕事をしている横で本を読んでいた。
本を借りて相談室で読んで、またその日の内に本を返してまた借りるのを繰り返していたから、だいぶ通ったと思う。
使っていない時に体育館で

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不登校の話④

不登校の話④

高学年になってくると、ちらちらと将来の事とか見えてきて悩むし不安になる。
チャレンジの結果、苦手だけれど頑張ればあれが出来る、これが出来ると少しずつ自信を作っていった。
中学に上がったらどうするのか、全然追いついていない勉強はどうするのか考えていた。
勉強するよりも本を読んでいたかったし、本の知識量ってすごいなと思っていた。
やれることは増えたけれど、ちゃんと学校へ通えるかわからないし、将来の事を

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不登校の話⑤

不登校の話⑤

結局、中学校は入学式の翌日から休んだし、相談室も馴染めなかったのでほぼ行かなかった。
だけど担任はとても熱心で、週に何度もプリントを持って訪ねてくれた。気持ちは嬉しいがとてもストレスだった。
苦手より何より、学校へ来てほしいという圧力すごかった。
担任は立場もあるだろうし、学校が楽しい所だと信じている人は、自分が正しいと信じてる。
善意の暴力って言ったら、頑張っていた担任が可哀想か。
不登校あるあ

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不登校の話・その後

不登校の話・その後

ざっくりだけどその後。
10代後半は出来ることを増やす為に頑張っていた。
初めてのことにチャレンジしたり、NPOのお手伝いをしたり、バイトは電話だけで引きこもりはダメと判断されたみたい。苦手な電話を頑張ったのに。
あと、祖父母がいい歳だったので介護。
病気をしたり、認知症があったりと私は孫の立場なのであんまりだけど、主戦力の母をサポートしていた。
介護の話はまた別の機会に書こう。

20歳になるこ

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