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不登校の話②

小学1年生のそれも前半から不登校だったけど、あまり家にこもっていることはなかった。
学校行事があれば担任が誘ってくれて、母が付き添ってくれれば教室にも行けるし、クラスメイトが笑顔で迎えてくれるから楽しく過ごせるし。
スクールカウンセラーが居て、その人とお話しに学校へ行くこともあったし、特別支援学級の仲間に入れてもらう事もあった
毎日通うことはなかったけれど、行きたければ行く、嫌なら行かない、と自分で選択することが出来て、その環境を作ってくれた親には感謝している。
両親は色んな情報を探して、たくさんの選択肢を作ってくれた。
まだネット社会じゃなかったから、大変だったと思う。
市に問い合わせたり、地域の情報誌を見たり、新聞の一文を探したりしたのだと思う。
中間教室に見学に行ったり、障碍を持った子が集まる作業所みたいな所も行ったし、フリースクールも見に行った。
本が好きだからと、市立の図書館も良く行った。色んな所に出掛けた。
その中で市内にあったフリースクールがとてもゆったりとしていて、なんというか性に合ったのだと思う。
フリースクールに居たのは、歳が近かったり離れていたりする若者と年配のおじさんおばさん。
経験者も親もそうじゃない人も居て、みんな不登校に理解があった。
学校へ行けとは言われないし、勉強しなさいとも言われないし、なんで学校へ行かないの?とも聞かれない。
1日の予定も決まっていなくて、行くとみんなで何をしようかと話して、意見が分かれても多数決とかとらないの。
1人で本を読んでも良いし、ゲームをしてたっていい、外で遊びたければ大人やお兄さんが存分に付き合ってくれるし、好きな時間に行って、好きな時間に帰れる。
その気楽さが嬉しかったし、何よりそこに居れば私は普通だった。
少数派の不登校児ではなく、みんなと同じ普通の子どもだった。

私は自分に合うフリースクールと出会えたけれど、そうじゃない人もたくさんいるだろう。
人伝に聞いた話だけれど、親に理解してもらえないという話も聞くし、病院に連れて行かれたという話も聞いた。
その衝撃は凄まじいだろうな。
平成になって、不登校を頭ごなしに否定する時代ではなくなっていたけれど、それでも無理やり学校へ連れて行かれる、学校へ行かないことを責められる、病気じゃないか、家庭に問題があるんじゃないかと言われる時代ではあった。
現に祖父母は色々言っていたらしい。父が説得したけれど埒が明かないので、じじばばはNHKなら鵜呑みにするだろうと、不登校の番組を録画して「これを見てから言ってくれ」と叩きつけたらしい。お父さんっょぃ

我が家もすべて順調では無くて、両親も悩んでいたと思う。
落ち込む母の姿も覚えているし、学校がある時間は外に出てはダメと言われたこともある。
祖父母は会えば「学校は楽しい所だよ」と勧めてきた。
でもそれ位で済んだのは、両親が根回しをしてくれたり、子どもに聞かせないようにたくさん相談して考えてくれたからだと思う。
母は、学校へ行きたいと言えばすぐ連絡をして車で送ってついて居てくれたり、フリースクールの送り迎えも、やりたいという事をさせてくれた。
父は、仕事が忙しいのに休みの日は必ず遊んでくれた。子どもと同じ目線になって目一杯遊んでくれた。
両親は学校へ行くことを決して強制しなかったし、不登校であることを認めてくれた。
学校への根回しを含め、PTAとかも欠かさなかったし。
当時はそんなこと知らなかったし、考えても無かったけれど、不登校であることをあまり気負わずにいられたのは、両親のおかげなんだと思う。


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