見出し画像

不登校の話⑤

結局、中学校は入学式の翌日から休んだし、相談室も馴染めなかったのでほぼ行かなかった。
だけど担任はとても熱心で、週に何度もプリントを持って訪ねてくれた。気持ちは嬉しいがとてもストレスだった。
苦手より何より、学校へ来てほしいという圧力すごかった。
担任は立場もあるだろうし、学校が楽しい所だと信じている人は、自分が正しいと信じてる。
善意の暴力って言ったら、頑張っていた担任が可哀想か。
不登校あるあるだけど、なんで担任はちょくちょく家に来るの? クラスメイトからのお手紙は担任からの依頼で書いているって分かっているよ?
小学校よりも締め付けが強いということかな。図書館はたまに行ってたけど。

学校へ行くよりも社会性を身に着けること、コミュニケーションを習得するほうが大事だと焦っていた。
後から考えれば、学校生活も社会性を身に着ける大切な場なのだけど、私にとって学校=勉強で、大人が働くのは学校の外なのだから、社会に馴染む練習をしなければと考えていた。
学校に行きたくないからの屁理屈だったのだろうか。

社会性を身に着ける練習と言っても、12,3歳の子どもが考える事だから大したことない。
フリースクールで先輩面して新しく通うようになった子に優しくしたり、ボランティアでフリースクールに来てくれた大学生の緊張をほぐす為に話しかけたり。
あと、周りの大人が不登校に関するNPOを立ち上げたので、そこのお手伝いをしたり、後輩(?)とお話したり遊んだり。
友だちが居ると出かける機会も増えるから、誘ってもらったら出かけるし、自分からも誘うように心掛けた。
正直、外に出るのも苦手で、家に籠ることが全く苦にならないから、意識して外へ出るようにしていた。
出かけたい気持ちとイヤだなって気持ちが40:60くらいであって、でも行かないで後悔するのは嫌だなと思ってお出かけを決めていた。
毎回、出かけた先で思いもよらないトラブルとか悪い事が起きたらどうしようって、すごく不安になるから予行練習は欠かさない。
考えられる全てに対処を用意して、会話のシュミレーションもする。
失敗があると次からもっと出かけるの苦手になりそうで、準備に余念がなかった。
堅苦しいお出かけだけど反復練習って大事で、出来ることが増えたのは良かった。
人と会うと体力がどんどん削られていって、外が苦手だということが変わらなかったけど。

中学校はそのまま卒業した。卒業証書も校長室で受け取った。
そんな状態なので、高校へは行きませんでした。
行けなかったとも言える。
フリースクールの仲間も高校は行っていたし、真面目に考えてたんだけど、考えるだけでも怖くて高校生活を想像しただけで涙が止まらなくなったので、これは無理だと親にも話をした。
今になって振り返ると、どれも社交不安障害の症状だったんだなと思えるけど、当時はそんなの知らなくて、なんで自分はこんなに弱いのか、普通の人が普通にしていることがなぜ自分には出来ないのか、悩んで苦しかった。
自分でも分かってないから家族にもうまく話せなくて、親も心配したと思う。
理由を探したくて、過去にあった出来事なのか、親の育て方なのか、自分の気質以外でも遺伝とか環境とか、自分は障碍者なんじゃないか、とまで考えた。
反抗期が全く無くて親大好きだから、心配ばかりかけて申し訳なかった。
同時に、私だってなりたくなこうなってるわけじゃない。と悩んだのは、もしやわずかな反抗期?

高校のことは悩んだけれど、当時その判断をしたのは正解だったと思っている。
なぜかというと、中学校を卒業して学生という身分が無くなった時、すごくスッキリしたから。
所属が無くなるというのは不安になる所なのかもしれないけど、ずっと不登校をしていた私からすると解放された気分だった。
不登校だけど学校へも行っていたし、楽しい思い出もあるし、家族は理解してくれて、周りに仲間もたくさんいたから、自分でもちょっと驚いた。
悩んだことや自分を嫌いになる瞬間も多かったけど、不登校をしたから出会えた人がたくさんいて、その人たちが大好きだから不登校で良かったと思える心境だった。
それでも、学生じゃなくなった、もう学校へ行かなくて良いんだと思ったら、本当に肩の荷が下りた気分で、自分でも思っていた以上に不登校ということが苦しかったのだと思う。

その後も出来ることを増やす為に頑張ったり、祖父母の介護があったり、将来へ一歩踏み出そうとしたら顔面から壁にぶつかって病院送りになったりして今に至るわけですけど、学生生活は中学で最後なので、ここで私の不登校は終了です。
悩んだり嫌なこともあったけれど、にぎやかで楽しい不登校生活でした。
当時は思ってもみなかったけど、思い出を懐かしむことのできる時間でした。
けれど現在も不登校で悩んでいる子どもや親はいますし、これからも現れるでしょう。
学校へ行かない自分を肯定できて、親御さんがお子さんの将来を不安に思わないよう、社会の仕組みや価値観が変わることを願っている。
まだ社会には偏見などがありますが、昨年、文部科学省は「不登校児童生徒への支援の在り方について」という通知を出しました。
その中に、学校復帰を目標とする、というような文言は書かれていません。
10年ほど前まで、教育関係者は当たり前の様に子どもを学校に戻そうと躍起になっていました。
不登校=問題行動だった時代とは変わりましたね。
今は、子どもに寄り添い、意思を尊重するようにと書かれています。
教育を受ける環境も様々で、フリースクールや不登校特例学校、自宅でパソコンの通信教育でも良いのだと、国の方針として決まったんです。
浸透して施設やサポートが整うまでにはもう少し時間がかかりそうですけど、多種多様な学び舎の中から、子どもが自分に合った場所を選ぶなんて理想的だと思う。

人間だれしも得意不得意があって、私はコニュニケーションがだいぶ苦手で、だから不登校をしていたのだと思う。
でも不登校は悪いことじゃない。そういう生き方なんだと思っている。
良いとか悪いとかじゃなく、子どもたちが楽しい毎日を送れることを願っている。

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?