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中村憲剛とファンと地域の幸せな関係性

#OneFourKengoの話を見て、本人が読んでくれるなら参加しようと思った次第です。会社の別のスタッフが憲剛モデルのノートパソコンのページを作りつつ「もっと良い顔色の写真はないの?」というコメントを全力で否定しつつ、裏の裏で支援してる立ち位置もありつつ、自身の正直な感想も届くといいなと思い手紙のようにしたためます。次のステージも多いなる期待を持ちつつ(2020.12.11追記)

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この日曜日の昼間にチームのYoutubeで中継された「中村憲剛の引退会見」は出先で夜ご飯の買い物をするスーパーで聞いていた。

正直なんとなく予感があったので、そうだよなと思いつつも、自身の熱量が収まる前に「何か書き残しておかなきゃ」という思ってしまい今、筆を進めてしまっている。自分の整理もあり筆をとっていることをここで先にお詫びしておきたい。

ただの1選手とは思えない情報発信力

この中継のあとに、「会見では伝えきれなかった部分がある」ということで自身のブログで長文を出している。確かに、中継で言い足りなかったこと、言いそびれたことを加筆する形で、中継と合わせて読むと、引退の背景、解像度が飛躍的に高まっていくことがわかります。

会見後のコメントでサッカー少年が悲しんでますと言うのを見かけました。自分を見て育ってくれたというのも本当に嬉しいです。その子達にも自分自身の道を歩む番で僕が応援団になる番だよと伝えて欲しいと思います。
まだできるのに引退という決断をなかなか納得がいかないだろう長男には、どんなこともどんなものもずっと同じであり続けることは不可能で、変化があるからこそ楽しく、終わりがあるからこそ素晴らしいと妻がそう話してくれました。

余談ですがここの奥様のコメント「終りがあるから素晴らしい」。こういうことをさらりと言えるのが、こう「すごいな」と思わずにはいられない。

中村憲剛は選手として活躍もしながら、このようなブログ発信や試合の直後にロッカールームから得点した人に対してTwitterで発信するなど「ファンがこのタイミングで見たい」というポイントをついて情報発信を常に行っていました。

翌日ではなく、当日の試合直後という絶妙なタイミング。さながら現場広報のような立ち振舞ですよね。

地域に根づくチームをゼロから積み上げた継続性

「選手がそこまでしなくても」「選手は結果で見せるべき」という声もある中、このような発信を続けていたのには理由があります。彼が入団したタイミングは2003年という時期。

少し個人的な話になりますが、私が上京したタイミングが2000年。勤務先は武蔵小杉でした。当時の武蔵小杉は、今のようなマンションが立ち並ぶ地域ではなく、いわゆる電気系の工場の勤務地。面談するデザイナーに「ここで働くの無理です」と鼻で笑われ断られるようなむさ苦しい街でした。

2000年にヴェルディ川崎の東京移転が決まり同じ等々力を本拠地とするフロンターレも実業団リーグからの払拭、地域に根ざすチームへの方向転換を行うタイミング。(当時は、「あ。フロンターレも川崎だったね」というトーンでした。これホント)

とはいえ、J1とJ2を行き来するようなチーム力で特段強みも特色もない時期です。お客様にいる元フロンターレ選手に「ちょっと歩いて等々力行けるから行きませんか?」的な話をすると、「水曜日のナビスコカップなら会社帰りに行けるね」とその場で即決で行けるというお気楽さ。

一応、初観戦の人もいるので両方見えるメインスタンド席を陣取ると、我々の以外ほとんど観客はなく、勝手にソーシャルディスタンスができる有様です。面白いように選手の指示や掛け声が聞こえるのも今の自粛期間の光景のまま。

ちょうどその時代にルーキーで入ってきたのが中村憲剛だったわけで、このガラガラのスタンドにどうやったら人が来てくれるかということを常に考え、実践してきたわけです。本当に「ゼロからのスタート」というのは、この20年の光景を間近に見ていたので、ほんと何もないところから積み上げてきたというのは間違いないと思います。

ファンとのいい距離感にあるフロンターレというチーム

ちなみに個人としては熱いファンというわけではなく、職場の近くにあるいい距離感のチームとして、ごくたまに観戦したり、競技場の周りを散歩するような立ち位置でしかないのですが、武蔵小杉が工場地帯からベットタウンに変貌していく動きと同時に、競技場の周りのファン層が変わってきたのを感じています。

等々力競技場の近くには小杉神社というものがあり、例年夏祭りなども催し物があるのですが、圧倒的な子供とその子供の熱量があり、この空間だけが平和な昭和の空気感が戻ってきたかのような感覚に陥ります。そして神社を出ると競技場の明るい電飾が出迎えるという光景。そして、サッカーを応援するファン層も圧倒的に家族連れなどが多い。おそらくベットタウン化のタイミングと若年層の家族、その余興としてのイベント。そういう流れは少なくともあると思います。そしてその地域でファンを取り込む必要性も。

その家族連れが応援しやすくするため、よくサッカーの応援のイメージである「フーリガンとかいそうで怖そうだよね」という空気感はこのチームには皆無で、罵声でなく声援が、叱咤ではなく応援の後押しがその空間にはあります。

よく欧州の真似をしようとしがちなところをあくまで地域、あくまでそこに住んでいる人の娯楽や魂となることをこの20年続けてきた結果、この光景を川崎の地で獲得したわけです。そして、その中心にいたのが中村憲剛だったと言っても過言ではありません。

この選手とファン、選手と地域の「いい距離感」を積み上げてきた偉大な先駆者と言えると思います。こんな幸せな関係性をチーム・ファン&地域で見ることはあまりないと思います。

そして次の舞台はどこに?

さて、1選手としての旅は終わるのですが、この人ほど次のキャリアについて、話題になるのも珍しい。ある人は監督だというし、ある人は解説で是非という声も多い。

個人としては、メインはチームの応援団としての立場は保ってもらいたいよなとは思っている。監督の彼も見てみたいが、結果が出ないと辞めさせられる立場に追い込みたくもないというか。それだけ、みんなから愛させる人というものなかなかいないものです。

とはいえ、あと2ヶ月彼の勇姿を見ることができます。18年の旅の終わりをノートパソコンの画面から応援していこうと思います。

お互いのコミュニケーション活性化のため、スキ・コメントお気軽に、よろしくお願いします。