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本来は地味な積み重ねが重要なのに

昨日はチャットボット導入の相談があって、いろいろ検討・調整を行っていましたが、どうして入れたい人たちって、ああいう流行りのものを「夢の玉手箱」のようなイメージで取るのだろう。

AIでも同じだけど、「機械が勝手に答えてくれる」とか「アトムのような云々」とか話になりがちだけど、その裏では

きっちり、かつ地味な積み重ねの上で成り立つDBや処理

があって、初めて機能するもの。案外今どきの人たちは、ITの処理をブラックボックス化しがちだけど、当たり前の話

インプット→処理&DB→アウトプット

と言う流れがあって初めて成立する。消して魔法の玉手箱じゃないわけだ。けど、AI的な話は、ここの処理をブラックボックス化しつつある。友人の話で、Awordsなどの検索広告の表示がおかしくなって問い合わせたところ、窓口では満足できない回答だったようで、技術者にまで確認をとったそうで。

でも、結果は「AIが出したのでわからない」ということをGoogleすら言い出している状況らしい。つまりAI時代は、地味な積み重ねは同じなのですが、DBや処理まで機械も地味な積み重ねを「意図せず勝手にしている」という状況も起こっているわけだ。

しかし、その機械はわがままになっているという苦笑

けど、造り手が制御できない時点で、古い人間としては、自分が理解できている積み重ねの重要さを改めて再確認できる事象だとなと感じずにはいられません。

組織もそうだけど、自身の制御下から離れる代物担った瞬間、存在意義がなくなってしまうからね。

お互いのコミュニケーション活性化のため、スキ・コメントお気軽に、よろしくお願いします。