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北海道生まれ北海道育ち。旅する社会福祉士、精神保健福祉士、介護福祉士、ボディーワーカー…

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北海道生まれ北海道育ち。旅する社会福祉士、精神保健福祉士、介護福祉士、ボディーワーカー。 レディーフォープロジェクト参加中⇨フィールドを通じた学びを紹介したい!!記事を読んで下さった方の北海道を見る目が少し変化したり、「訪れたい」と思って頂けるような記事を目指して書いていきます。

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地層処分と風力発電

6月7月と、2回に分けて道北を周った。 まずは、エゾニュウが大きい。  私は地域によって異なる植生の違いを見つけるのが楽しみだ。  私が住むエリアのエゾニュウと言えば目立たない存在だ。  もし今回の道北の旅でこのように大きなエゾニュウに出会わなければ、私はこの植物の名前を知らなかっただろう。  エゾニュウとの出会いに嬉しくなって、幌延町トナカイ観光牧場へ。  入場料は無料で、トナカイの餌だけ100円。  トナカイは記憶の中で、サンタさんとセットとなり、限りなくフィク

    • 海辺の未来、私たちの未来。

       2013年のこと、北海道大学大学院環境科学院で行われた、 石狩海岸フォーラム-石狩海岸 海辺の未来会議-に参加した。  石狩海岸は、小樽市銭函から石狩市厚田区望来までの、延長約25kmにまたがる。  ある日、川はどこから来てどこへ行くのかに興味が湧き、支笏湖西部の小漁山を源とし、豊平峡・定山渓・簾米(みすまい)・札幌市街を経て石狩川に注ぐ豊平川を、真駒内から東雁来まで辿り、豊平川が合流した先の石狩川が、やがて石狩湾に注いだのを自らの足で辿った。  石狩川河口の砂嘴の上

      • ふるさとは、鳥達が安心して子育てができる場所

         昔、丘珠空港からHACに搭乗し、釧路湿原上空を周回。たんちょう釧路空港に降り立ち、北海道東部の、丹頂の生育環境を見てきたことがあった。  釧路市丹頂自然公園では、給餌台の設置やヨシ原の保全など、ヒナを孵し丹頂を増やす為に様々な工夫が施されている事をわかりやすく学ぶ事ができた。 ・  同年9月の斜里岳登山では、大きな砂州である野付半島を経由して札幌からはるばる斜里に着き、夜、居酒屋でハマボウフウの甘酢和えを頂き感動した。海岸の砂地に自生するというこの植物も、海浜の侵食等の影響

        • 船の上から

          前回の道北スタディーツアーで、羽幌町観光協会の女性スタッフにおすすめされていた、天売島・焼尻島へ。 2つの島へのアクセスは船のみ。天候が悪ければ欠航となり、はるばる羽幌にまで来ても島に渡ることができない。 でも、今回は天候の心配は無さそうだ。 道北の旅4日目、今回の旅のテーマは、「不自由を楽しむ旅」。 まずは4時間30分かけてマイカーで羽幌フェリーターミナルへ。 明け方に着いたので少し仮眠。 乗用車14台を乗せられるフェリーと、高速船のどちらかに乗ることになる。 朝いち

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          夏が過ぎてゆく

          暑い日が続いている。 連日30度越え。 職場には冷房がない。 私のデスクの周りには冷風機もない。 海沿いなのでそれはもう湿度もすごい。 求める風が一瞬足りとも吹いてくれない。 冷涼な気候の地域の人間なので、夜は何かしっかりしたものを掛けないと眠れない。 なのでここ最近寝ているだけで汗が出る。 こんな時、身体は汗を出すのが精一杯らしい。 朝、暑さで目が覚める。 愛犬と添い寝している時のような暑さだ。 昨日は、愛犬が起きた気配で目が覚めた。 外が気になるらしい。 起きてトイ

          夏が過ぎてゆく

          だから魂のこもる創造物は尊いのだ

          ヘラクライトスは、「運命は性格にあり」と言った、そう言ったのは小池晶子さんだ。 本当にそうなのか?何もしなければ、どんな答えも分かるべくもない。 でもどうやって?小池さんの引用をもうしばらく続ける。 「これと同じことを小林秀雄が言っていました。「彼は科学者にもなれただろう、軍人にもなれただろう、しかし、彼は彼にしかなることはできなかった。これは驚くべきことではないか」。そういうふうに、彼は魂としての存在の謎を述べたのです。 何にでもなれるけれども、その人はその人以外になること

          だから魂のこもる創造物は尊いのだ

          この子らを世の光に

          感動の涙が絶えない。 日記の書き出しは終戦直後の昭和21年、糸賀一雄33歳の時に始まる。 昭和16〜17年(糸賀が20代後半)に、秘書課長を務めていた時の知事、近藤壌太郎知事を【私の恩師】として紹介している。 「私の官吏生活に背骨を一本入れていただいたのは近藤さんであり、それもたった一年間の薫陶であった」とあるが、短い期間とは言え、全身全霊で打ち込んだ日々は忘れがたいものであろうことはよく共感できる。 本来の人間性にあたたかいものがありながら、仕事上の厳しい顔のまま別れ、

          この子らを世の光に

          そこつな自分を認める

          そいつにはどうやら、ADHDという名前があるらしい。 ADHDと格闘しているらしいわたしは、人と話しているようでその場から、本を読んでいるようでそのページから、話す言葉を考えているようでその言葉から意識を別な所へ散歩させている。 おいしい料理を食べに行って、料理から意識が離れている。温泉に入りに行って、心ここにあらず。 目の前のことに意識を向けるのが難しいので、 今日は常に、昨日の自分とは遠く離れた世界で生きている。 これには本人もとても困っている。 思いがけないとこ

          そこつな自分を認める

          あん

          映画『あん』を観た。 ある日,徳江さんと言う76歳の老婆が,どら焼き屋「どら春」のアルバイトの張り紙を見てやってくる。最初は断ったが,徳江さんの手作りのあんを食べた店主の千太郎は,これまで食べたことのないあんこだと驚く。 徳江さんはやがてどら春であん作りをするようになる。しかし,実は,徳江さんはハンセン病元患者たちのいる隔離施設に住んでいた。その隔離施設内の喫茶室で,徳江さんは患者相手に50年あんこを作り続けてきた。そんな徳江さんが作るあんのお陰で繁盛し始めたどら春も,徳

          3月28日のこと

          今年の3月28日で,母が亡くなって27年になる。 享年42歳,わたしが15歳の時だった。 そうして,現在42歳のわたしも,もうすぐ3月28日を迎える。  42歳なんて,若い,若過ぎるよ。 しかも子ども3人を残して,さぞ無念だったに違いない。 わたしも42歳になったら,当時の母の気持ちが分かるだろうかと,ずっと思っていた。 そんな27年目の母の命日を前に,「書く」ことにした。 ✳︎ ✳︎ ✳︎ わたしの中学生活が忙しくなってきたある時期から,どんなに掃除をしても, 家の

          3月28日のこと