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この子らを世の光に

感動の涙が絶えない。

日記の書き出しは終戦直後の昭和21年、糸賀一雄33歳の時に始まる。

昭和16〜17年(糸賀が20代後半)に、秘書課長を務めていた時の知事、近藤壌太郎知事を【私の恩師】として紹介している。
「私の官吏生活に背骨を一本入れていただいたのは近藤さんであり、それもたった一年間の薫陶であった」とあるが、短い期間とは言え、全身全霊で打ち込んだ日々は忘れがたいものであろうことはよく共感できる。
本来の人間性にあたたかいものがありながら、仕事上の厳しい顔のまま別れ、とうとう「その人」を知れなかった、でも厳しさを教わり感謝している人が、どの人にもいるのだろうか。

この中で孟子による中国の農夫の例え話が紹介されていた。

これを読んで、生活保護を起草された小山さんのことを思い出した。
「人は可能性をもっている。これを助長育成し、
その能力に相応しい状態において社会生活に適応させることこそ真実の意味で生存権を保障すること」
生活保護はこのような、人間誰しもが持つ生存権を保障するための制度として起草された。

しかし中国の農夫の例え話のように、「助長」には良い面も悪い面もある。
どのような性質や要素が、ものごとを悪い方へと運ぶのか。保護も育成も、過ぎると根を枯らしてしまう。
制度を人間に当てはめるだけの「助長」で、果たして人間の心が自然と健やかに、可能性を発展させてゆくことができるのだろうか?

この本に綴られた糸賀氏の「心境」からは、人間の心は弱いもので、糸賀さんさえ理想と現実の格差の中で、何度も心が折れそうになっている様子が伝わってくる。

この本を読んで動揺しまくった自分の心の内を、
あえて糸賀さんや生活保護制度の矛盾を例にして書いたけれど、だらけていた最近の自分を反省した。
それから改めてこの本は、読書はいいなぁ、と思わせてくれた。

時々、思想の構造のどこまでも深い本に出会うが、
日本人の精神の深さにも驚く。

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