あん

映画『あん』を観た。

ある日,徳江さんと言う76歳の老婆が,どら焼き屋「どら春」のアルバイトの張り紙を見てやってくる。最初は断ったが,徳江さんの手作りのあんを食べた店主の千太郎は,これまで食べたことのないあんこだと驚く。

徳江さんはやがてどら春であん作りをするようになる。しかし,実は,徳江さんはハンセン病元患者たちのいる隔離施設に住んでいた。その隔離施設内の喫茶室で,徳江さんは患者相手に50年あんこを作り続けてきた。そんな徳江さんが作るあんのお陰で繁盛し始めたどら春も,徳江さんが「らい」だと言う噂が広まり,店を辞めざるをえなくなった。店は再び活気が無くなってしまう。

私たちは普通に生活をしていると,「施設の中の人」に関わることができない。
でも,こちらが「行きたい」と思えば,垣根を越えることはできる。
しかし,施設の中の人は,簡単にその垣根を越えることができない。
こういう無自覚な構造が,人をパワーレスにする。

ところでこんな風にも思う。
嫌な言い方をすると,彼らがパワーレスにさせて置くことで安心する人も居るのではないか。
どちらの立場に立っても,切実なのだ。

施設の中の人の,可愛いフォルム。
不自由そうな曲がった指で作る徳江さんのあんや仕事姿は,とっても美しかった。
とてもパワーレスであるようには見えない。
それが尊い。

そして“なぁんにもできない人”に自分を見せる生きる強さ。
そう言う強さを,わたしも知っている。
わたしは世の中が不公平だと思う。
自分が享受している幸せを思う。
しかし,彼等が不幸そうにも見えなかった。
そう思えたので,わたしはいつもそこで考えるのを止めてしまう。

垣根を越えた徳江さんは,とびきり外の世界を知りたいと願った訳ではない。
店長さんの目に,かつて不幸だった頃の自分を見たのだ。
その思いが,徳江さんに垣根を越えさせた。
誰かのための,命がけの跳躍を,行ったのは徳江さんだった。
徳江さんのような強さを,施設の中に居ても持てるし,施設の外に居ても持てない人もいるのだと思った。

この映画で,そんな気持ちに出会うことができた。

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