目を覚ますと、11時少し前だった。朝の、ではなく夜の11時だ。あー、また寝てしまった。別にそこまでやってしまったと思わないが。仕事から帰ってきて、どれだけ眠くてもメイクを落とすことだけは真っ先にするようにしているから、まあ許そう。寝起きだし空腹感はないが、きっと変な時間に食べたくなるだろうな、でも今から食べると太るしな。とりあえず、豆乳だけ飲んでおくか、と冷蔵庫に向かう。ソファから降り歩きながら、これからシャワーして、髪の毛乾かして、スキンケアして、とやることを一つ一つ考えて
なんで捨てられないんだろう。今年ももう残すところ数日、私は大掃除をしながらうんざりしていた。散らかった部屋を眺める。机の上は隙間がないほどに物が乗っており、しばらく床さえも見ていないなと、むしろ他人事のように自分の部屋を見回した。金欠の人間ほど、すぐにお金を遣いたがるというが、まさにそうだと思う。 先日、彼が結婚した。 ”電撃結婚”、だって。 15年以上ずっと応援してきた。 気づけば私は適齢期を過ぎているし、年々抱える悩みも増えてきて、自分の人生をまっすぐ見つめられな
時計を見るとちょうど八時を過ぎていた。自分のほかに数人がまだ作業をしていたが、一様に皆疲れた顔をしている。節電のため、蛍光灯は全体の4割ほどしか点けられない事になっている。長時間のPC作業のため、目は疲れ切っており、ひどく乾燥している。PCの傍らに置いてある目薬を注すと、束の間の爽快感が心地よく、ほうっと息をついた。これ以上は作業を続けても、効率が上がらないと思い、帰り支度をしていると、まだ残っていた先輩が「お疲れ。来週のK社との打ち合わせだが、一緒に行って佐藤の補佐をしてく
プシュッと音がはじけた途端、ふわりとメロンソーダの香りが立ちのぼる。どんなに安価な缶チューハイだろうと、この瞬間には他に代えがたい価値がある。一口目はアルコール臭さが目立つが、飲み進めていくうちに気にならなくなる。 社会人になり、一ヵ月が過ぎようとしている。だが、右も左も分からぬまま、神経をすり減らすだけの日々を繰り返しているだけで、社会人になったという実感はまだない。早く役に立ちたい、何で自分はこんなにも出来ないんだろうと、焦り、いたたまれない気持ちでデスクに座っているが
身長が~cmない男は人権ない、そんな言葉を聞いた。その発言者は、この言葉が持つ重い意味など考えずに使ったんだろうな、と思った。もちろん、発言者にしか、発言者の真意は分からないので、私の考えは単なる身勝手な妄想に過ぎないけれど。私はただ内省するために、数行の文章を書いているだけで、この発言者及びこの言葉に傷付いてしまった人に批判も賛同もしていないので、そこらへんのご理解、ご容赦を願いたい。 誰もが、誰かの人権の有無など決められない。自分の感情に似つかわしくない過激な言葉を遣っ
問診が終わるころには1時間以上は経っているのではないか、と思うほどにクタクタに疲れていた。母は診療室から出る時に大きなため息をついた。私はそれが嫌だと感じたけれど、口には出せずに押し黙った。 「疲れたわね。今晩はスーパーでおかずでも買っていこうかしら。」 問診を受けたのは母ではないが、私以上に疲れ切っていて、老けたように感じた。 「うん。なんかごめん。」 何に対するごめんなのか、自分でも分からぬままに謝っていた。母はいいのよ、と無表情に答え、会計に呼ばれ診療代を支払い
母は私を強制的にアパートから連れ出し、実家の近くにあるメンタルクリニックへ向かった。母も私も一言も発しなかった。私は特に言いたいこともなかったし、頭の中がぼんやりしていて、母が今何を考えているのかを想像することさえ億劫でただ座っていた。クリニックに着き、薄い顔立ちの中年男性が私にいくつか質問をしながら、カルテに何かを書き込んでいる。私は質問された事をうまく咀嚼できず、何度か的外れな答えを出していたようだった。そのたびに、母が身を固くするのが分かった。私は、こんな質問はどうでも
仕事が終わり、ビルから出ると雪がぽっぽと降っていた。今晩から明朝まで雪は降り続け、明日は交通が乱れるため外出時は注意が必要だと天気予報が言っていたが、確かにこれは積もるなあ、などどぼんやり考えていた。鞄の中から傘を探す手を止め、夜空を見上げると、林立するビル群の照明で思ったより明るく、降り落ちてくる雪の影は眼前に迫るほどに大きくなっていく。いつもは広く感じる夜空も今日はなんだか狭く感じた。幼少期ぶりに雪に降られてみるものいいか、と思い立ち、マフラーをきつく締め直し歩き出した。
今日は朝から雪が降っていて、40デニールのタイツではとても耐えられそうにないほどの寒さだ。息を吸い込むたびに肺が凍りそうになる。薄い水色のカーディガンをブレザーの袖から引っ張り、両手をすり合わせ、息を吐きかける。どんなに寒くても、やせ我慢だと笑われても、今日だけは少しでも可愛い私でいたい。 2月14日、今日は恋をしている人にとって、無視できない一大イベントの日。 例にももれず、私も2月に入ってから、そわそわと落ち着かない日々を過ごしてきた。美味しいと思ってほしくて、何度も
ロケバスの中で足を投げ出した。 「あー。つっかれた。何で生徒が教師に挨拶するだけのシーンで何テイクも撮るのよ。」 先ほどの撮影の愚痴をこぼしつつ、アイコスを吸った。 「お疲れ様です。なつみさん。」 私より3歳若い女性マネージャーはなつみの機嫌をうかがうように、恐縮した様子で労った。 「ったく、新人とやると長引くからやなんだよねー。」 ふーっと息を吐きながら、ロケバスの窓を開けた。すると道路沿いに高校生くらいの女の子たちが数人、こちらを見つめている。なつみの顔を認識
愚痴って目に見えないくせに、投げつけられ続けると、決して消えない傷がつく。目には見えないものだけれど、きっとそいつの姿形はおぞましく、とげとげしていて、ねとねとしているのだろう。人は、そいつを心の中に飼っておくことが出来ない。飼いならすことが出来ない。だから、静かに聞いてくれる誰かに投げつけて自分の中から追い出す。誰かに押し付けて自分は解放された気になる。投げつけられた人は、そいつを黙って受け入れる。どんなに痛みを感じても、苦しくても。「聞いてくれるのはあなたしかいないから」
昼頃から降り出した雨は、夜中の十二時を過ぎた今も降り続けている。トン、トン、ポツッと不規則な音をたてながら、真っ暗な空から降ってくる。雨の真夜中は、生活音さえも飲み込んでしまうほどに静かだ。この神経質な静かさは、私をピリッと緊張させながらも、さりげない優しさで癒してくれる。小さなミルクパンで丁寧に時間をかけて淹れたホットココアを一口飲み、座椅子に腰を下ろした。太る、と思いながらも、真夜中に飲む甘く温かいココアは格別だった。完全に目は冴えてしまって、久しぶりの長夜になるな、など
見たことがある景色だと思った。初めて足を踏み入れた場所だというのに、私は間違いなく、この景色を知っている。夕日が沈んだ直後では、物の影形がはっきりと分かるくらいに明るい。稲と雑草を撫でるように風が吹いている。目を閉じ、肌で風を感じていると、段々意識がぼんやりとしてきて、あるはずのない過去の記憶が頭の中を駆け巡りだした。 夜闇と影の境目が無くなり、ここにに存在しているすべての物が、夜の空気に溶け込んでいる。胸がざわつくけれど、今はこの気怠い心地よさに浸りたい。 体は私の言う
どこへ行っても、どれだけ時が経っても、かつて乗り越えられなかった壁と同じような壁が目の前に立ちはだかる。むしろ逃げ続けた代償だ、とでもいうように、壁は険しさを増している。 私は自分の弱さから目を背けて生きることを、許してほしいのだろうか。「許してほしいのだろうか」。疑問ではなく、願望だろうが。全く浅ましいことに、私は許してくれませんか、と素直に言えない。許してくださいと願わねばならぬほどに、自分が劣っているという事実を認めたくなくて心がカッとなり、劣等感と羞恥心に耐えられな
真っ暗な夜の闇を歩く。今夜は月がこうこうと世界を照らしている。目線を下ろしたら、細長い僕の影が伸びていた。夜なのに影が出来るだなんて知らなかった。袖をまくり上げた腕を見ると、うっすらと肌色をしていることが分かる。ここには街灯は一つもなく、夜になると辺りは暗闇に包まれるため、昼間に見えている世界とは全く違う景色が広がっている。空を見上げると、ぽわんと浮かぶ月が僕を見ている。近づきたくて、月に向かって歩き出した。 ふいに腕が引かれた。隣にいる君が不安げな目で僕をうかがう。引かれ
カーテンからのぞいた朝日が眩しくて目を覚ます。昨夜の電話が終わったあと、考え込んでいるうちに眠ってしまっていたようだ。こわばり、凝り固まった体は鉛のように重たく、憂鬱な気持ちになる。 仕事を辞めてから、私は変わったと思う。前は、仕事行きたくないなぁくらいの朝の憂鬱はあったけれど、朝目を覚ました瞬間から責められているような、後ろめたいような落ち着かない気持ちに襲われることはなかった。仕事を辞めたあの日から、前の職場のことを思い出そうとすると、頭がうまく働かなくなってしまった。