夜の静寂
昼頃から降り出した雨は、夜中の十二時を過ぎた今も降り続けている。トン、トン、ポツッと不規則な音をたてながら、真っ暗な空から降ってくる。雨の真夜中は、生活音さえも飲み込んでしまうほどに静かだ。この神経質な静かさは、私をピリッと緊張させながらも、さりげない優しさで癒してくれる。小さなミルクパンで丁寧に時間をかけて淹れたホットココアを一口飲み、座椅子に腰を下ろした。太る、と思いながらも、真夜中に飲む甘く温かいココアは格別だった。完全に目は冴えてしまって、久しぶりの長夜になるな、などとぼんやり考えながら、あの人のことを思い出していた。
もう、当たり前のように隣にいることが出来なくなってしまった人。矛盾をはらみ、結論のないとりとめもない気持ちを、適切なタイミングで必要最低限の相槌を打ちながら聞いてくれるような人だった。眠りの浅い私が、夜中に起きだすと、明け方まで話し相手になってくれるような人だった。決して善意の押しつけとか自己陶酔とか、エゴとかで動く人ではなかった。
大学二年生の夏に、友達の紹介で知り合った彼とは、初めて会話をした時から波長が合っていると感じた。あとから聞いたら彼も、最初から不思議なくらい居心地がよくて、きっとどんな関係であれ、僕らはずっとそばにいると予感していた、と恥ずかしそうに話してくれた。ほかの人から言われたら、辟易してしまうような言葉も、彼の口を通すと心にすとんと入り込んできた。私たちは、二人とも、皆でわいわいはしゃぐ事も好きだったが、そっと片隅で本を読む事の方を好むような人間だった。友達の友達から、友達へ、そして恋人になり、過ごす時間の密度が変わっていっても、私たちはお互いに自分だけの時間を持つことの重要さを尊重し合っていた。四六時中一緒に居なくても平気だったし、少しくらい触れ合わない時間が続いても、また会えばすぐいつもの調子に戻れた。友人たちはそんな私たちの様子をみて、熟年夫婦かとよくからかった。大学生活は気楽さと娯楽も多く、まさに黄金時代だった。その一方で私たちは膨大な自由を惜しげもなく謳歌しているが、どこか綱渡りをしているような心許なさも感じていた。そして実体のない不安だけではなく実際に、さまざまな困難に出くわした。私たちは何度もその嵐の中を潜り抜けた。それは年をとった今では、可愛いものだと思える程度のものだったけれど、渦中にあったあの頃は、絶望し取り返しがつかないのではないか、と本気で心配したものだった。
ハッとして時計を見上げたら、1時を回っていた。手の中のマグカップはもう冷めてしまっている。一瞬迷ったが、ほとんど減っていないココアを飲み干し、シンクへ持っていった。立ち上がる時に、ふいに、強烈に一人の孤独を感じ、思わず涙が流れそうになったが、目を見開きぐっとこらえた。会えなくなったあの日から三年半は経つのに、唐突に、あの頃の私に戻ってしまうことがある。写真を見返しても、思い出が詰まった場所や物に触れても、胸は痛むが涙は出なくなっているというのに、全く予想もしない時に、引き戻される。止めていた呼吸を、ゆっくりと再開し、ふーっと大きく息を吐く。大学時代から今も仲良くしてくれる百合から教えてもらった通りに、ただ息を吐き、空気を吸う、この二つの動作だけに集中する。次第に落ち着いてきて、手のひらのしびれも治まってきた。ほっとしたら、どっと疲れと眠気が襲ってきた。気持ちはまだざわめいているが、もう寝たほうが良いと思い、布団の中に入った。まだ自分の体温に温まっていない冷たい布団に包まれながら、目を閉じる。閉じた瞼に、彼の顔が浮かぶが、表情は分からない。胸がぎゅうと痛み、出口のない迷路のように、答えの出ない思考が頭の中を回りだそうとしたが、無理矢理せき止め、なんとか眠りについた。
カーテンに透ける朝日の眩しさに目を細め、スマートフォンのアラームが鳴りだす前に消しておく。時計はまだ、7時前を指していた。夜中に一度も目が覚めることなく、ぐっすりと眠れたはずなのに、体は重怠くスッキリしない。今日は仕事も休みで、伸びてきた髪を整えに行こうと思っていたのだが、そんな気力はどこかに消えてしまった。心は体に引っ張られる、どこかで聞いた言葉の通り、まだ目覚めて間もないというのに、既に心がどんよりと沈んでいた。気持ちを切り替えようと思い、ベッドから這い上がりつつ、カーテンと窓を開け、伸びをしながら朝の空気を吸い込む。冬の朝の空気はきりりと肺を差すように容赦なく冷たいが、その瞬間から頭がさえ、心がしゃんと姿勢を正すような気がして、私は好きだ。その足で洗面所に行き、顔を洗い、丁寧に歯を磨く。朝ご飯を食べた後にも歯を磨くのだが、起き抜けの歯磨きは気持ちがいいから丁寧にするようにしている。
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