吐き出し日記

身長が~cmない男は人権ない、そんな言葉を聞いた。その発言者は、この言葉が持つ重い意味など考えずに使ったんだろうな、と思った。もちろん、発言者にしか、発言者の真意は分からないので、私の考えは単なる身勝手な妄想に過ぎないけれど。私はただ内省するために、数行の文章を書いているだけで、この発言者及びこの言葉に傷付いてしまった人に批判も賛同もしていないので、そこらへんのご理解、ご容赦を願いたい。

誰もが、誰かの人権の有無など決められない。自分の感情に似つかわしくない過激な言葉を遣ってコミュニケーションを行う人はいる。自分が思う以上に、攻撃力の高い言葉を何の気なしに遣ってしまう人はいる。私自身も、そんなつもりじゃなかった、と罪悪感と後悔を繰り返してきた。普段から、誰かの心を考える、思いやる習慣が欠けているからかもしれない。

私は、物心ついた時からコミュニケーションの仕方が分からず、対人関係で苦い思い出ばかり作ってきた。どこにいても、いくつになっても、今いる場所で居場所を作れず、一人だけ浮いていた。浅はかだなあと思うけれど、万人に通じるコミュニケーションの教科書があればいいのに、その通りにふるまえば円滑な対人関係が築ける、そんな世界ならばいいのに、などと本気で思っていた。学生のコミュニティを卒業し、やっと苦しみが終わったと安堵したのも束の間で、働くようになると、一見業務には全く関係のないように思える雑談、飲み会でのお喋りに全力で躓いた。出来ぬなりに無理をして一生懸命になればなるほど、他人からは不自然に見えるらしく、変わり者、とっつきにくいと、私は嫌煙された。自分でも、嫌われ、煙たがられている事が痛いほどに分かっていたから、辛かった。本当に辛かった。苦しみは終わらないんだと悟った。いっそのこと、人間ではなくロボットと一緒に働けたらなあ、とも本気で思っていた。人々と円滑な仕事を進めるためには、業務上では不要なコミュニケーションが、どれだけ大切だったのか、今となればよく分かる。それが分かっているのに、出来ない自分を思うと、体がねじ切られるような痛みを感じる。今、この文章を書いていて思うのだが、過去の私も今の私も、自分のことばかり考えているのだな、と感じた。私の態度、言葉で不快になった人たちのことよりも、傷ついた自分が可哀そうで可愛い。バカで、嫌な奴だ。嫌われて当然だと思う。

先ほども書いたが、物心ついた時から、辛い気持ちを抱えていたので、希死念慮が強かった。苦しくなるたびに、死にたい、と思わずにいられなかった。この行事が終わったら、受験が終わったら、20歳になったらと、今すぐ死ぬ勇気がない言い訳に、死ぬ期限を設けてきた。まあ、期限が来たら死ぬんだし、と心のどこかで投げやりな気持ちで構えていなければ、現実を乗り越えられなかった。

コミュニケーションが下手なのは、対他人だけではなく、姉と祖母ともうまくやれなかった。理由は今も釈然としないのだけれど、なぜか彼女たちからは妬まれ疎ましく思われていたようで、特に姉からは全く妹として扱ってもらえなかった。なんで邪険にされるんだろう、何十歳も年下の孫に、自分と同じ土俵で戦おうとしてくるんだろう。なんで、身に覚えのないことで疎まれるの。母は、私の色白が、睫毛が長いことが羨ましかったんじゃない、といった。意味が分からなかった。あと、私が、祖母とも姉とも全く考え方と価値観が合わない、異種の人間だからじゃないか、とも言った。彼女たちは、自分に似ている、もしくは自分の言うことを聞く、自分たちが女王様でいられる人間を好むのだ、と今となれば分かるけれど、あの頃はなんだそれ、と呆れてしまった。今でこそ、この粘るように拭えない嫌悪感の存在を私の中に強く感じるけれど、あの頃はそんなことはなかった。つらい現実から逃げるように、読書と勉強に没頭していたし、辛い気持ちに真正面から向き合おうとはしていなかったと思う。

学校で神経をすり減らし、へとへとになって帰ってきても、反抗期で不機嫌に磨きがかかった姉がいるし、表面上はなんともない様子でも、奥底に私に対する敵対感を持っている祖母の視線からは逃げられなくて、テレビと読書と勉強をしている時だけは、心が休まった。今思おうと、本当に鬱陶しかっただろうなと思うのだが、私はリビングでテレビをつけながら勉強をしていた。鬱陶しい存在である私が、リビングに居座る、しかもテレビをつけたままガリ勉している、苛立つだろうなと思う。しかし、言わせてもらうが、姉の刺々しい態度は、私だけでなく母にも容赦なく向けられていたし、祖父を除く家族はみな姉に対して腫物に触るような様子だった。大学生になると姉は京都の大学へ行った。AO入試で受かっていた。

何で私が大学2年生ごろになった時に、これまでのことが無かったかのように、妹想いの姉、をしてきたの。私は今も、あなたのことを心の底から姉と思えないし、今もあの頃の気持ちを昨日のことのように思い出せるのに、と黒い気持ちが止まらない。何であなたはすっきりして、私だけが、今も苦しみと憤りを手放せずにいるの。いっそのこと、あなたの記憶、存在が、私の中から綺麗さっぱり消えてしまえば良いのに、と願わずにいられないの。

書きながら、冷静になれず責めたい気持ちが止められない。でも、本当は、嫌な記憶だけではないのだ。祖母から大切にしてもらった、たくさんの恩がある。感謝しているし、大切な家族だと思う。姉に対しても、普通に話せるようになってから、楽しい思い出も、様々な相談に乗ってもらい心を救ってもらった。

支離滅裂になってきたし、ちょっと疲れたのでここで終わります。


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