きのうのひと
時計を見るとちょうど八時を過ぎていた。自分のほかに数人がまだ作業をしていたが、一様に皆疲れた顔をしている。節電のため、蛍光灯は全体の4割ほどしか点けられない事になっている。長時間のPC作業のため、目は疲れ切っており、ひどく乾燥している。PCの傍らに置いてある目薬を注すと、束の間の爽快感が心地よく、ほうっと息をついた。これ以上は作業を続けても、効率が上がらないと思い、帰り支度をしていると、まだ残っていた先輩が「お疲れ。来週のK社との打ち合わせだが、一緒に行って佐藤の補佐をしてくれないか。」と尋ねてきた。佐藤とは、一年半ほど前に中途入社してきた30代の女性社員だ。前職はウチと同じ業界のためか、仕事の覚えも早く優秀だな、という印象だった。実際彼女は、前職の経験の有無とは関係なく、新しいことにも果敢に挑戦し、ミスにも臨機応変な対応ができる優秀な人材だった。その証に、入社してから二年もたたぬうちから、顧客を持っている。残業続きで回転の遅い頭の中で、自分の仕事の進捗具合とスケジュールを巡らせながら、「はい、大丈夫です。しかし、K社は佐藤が担当していたはずではないですか。」彼女はK社の担当であり、これまで何度も一人で打ち合わせを行っていた。遅くまで残業をする姿はよく目にするようになったが、特にトラブルに見舞われたという話も聞いていなかったため、聞いてみると、「いや、先方の担当が変わるまでは順調だったようだが、今の担当がどうにも厄介な奴のようでな。」と、先輩は目頭を親指で押さえながら、溜息まじりに言った。新しい担当者は30代後半の男性だそうだが、佐藤への態度が異常に高圧的で、こちらの提案をほとんど無視する割に、こちらに対する要望は高く仕事が思うように進まないらしい。さらに、仕事の進捗が遅いという理由で打ち合わせのためプライベートでも会えと言ってくるようになったらしい。まだ、先方の担当が変わったばかりの頃は、普通だったらしく、一か月ほど前から態度が急変したのだそうだ。最初のほうは、佐藤もあれこれと対策を講じていたようだが、状況は一向に良くなる様子は無かったとのことだった。「そんなことになっていたんですね。クライアントと業務時間外に会うなんてアウトですよ。それにしても、K社はその担当の悪行にに気づいてはいないのですか?」残業の理由はこれかと、腑に落ちたが、その担当の行動には納得がいかず、思わず反発するように尋ねると、「悪行、そうだよな。いや、どうもそいつは社内ではそんな問題など起こすとは到底思えないような優秀な社員だ、と評価されているらしくてな。かといってうちの佐藤もそんな嘘をつくような奴ではないし、メリットがない。」二度目の溜息をつきながら、先輩も納得がいかないような声音で答えた。
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