大勢の中の一人

なんで捨てられないんだろう。今年ももう残すところ数日、私は大掃除をしながらうんざりしていた。散らかった部屋を眺める。机の上は隙間がないほどに物が乗っており、しばらく床さえも見ていないなと、むしろ他人事のように自分の部屋を見回した。金欠の人間ほど、すぐにお金を遣いたがるというが、まさにそうだと思う。

先日、彼が結婚した。

”電撃結婚”、だって。

15年以上ずっと応援してきた。

気づけば私は適齢期を過ぎているし、年々抱える悩みも増えてきて、自分の人生をまっすぐ見つめられないことが多くなっていた。

15年以上、応援してきた。

言葉にすれば、なんてことない出来事に見えるかもしれないけれど、これがどれだけのことなのかは、私にしか分からない。
お金も時間も、私なんて比じゃないほどに遣ってきた人たちがごまんといることも、もちろん知っている。けれど、私が応援してきた時間は私だけのもので、誰にもケチをつけられるものなんかじゃないことも知っている。私自身にも。

リアコ、そんな時期もあった。とうの昔に解消したつもりでいた感情は、まだ私の心の片隅に居座っていたようだ。

結婚する、隣で彼と支え合っていく人がいる、それはめでたく喜ばしいことなのに。私はニュースを見て、何時間か経過した今、45リットルゴミ袋を3枚用意して、彼に関するものをすべて捨てようとしている。実家にもあるから、帰省した時に捨てなければ、面倒だな、なんて思っている。

リアコ、たった3文字では追いつかないほどの気持ちだ、なんて自負していた。彼が結婚する人はどんな人なんだろう、ていうか結婚するのかな、なんて自分のことは棚に上げて、勝手に彼を身近に感じていた。
それがなんだ、この傷つけられたような気持は。なんで涙が止まらなくてこんなに胸が苦しいんだろう。
住んでいる世界が違う、だから、彼がキラキラと輝いて見えて惹かれずにはいられなかった。
彼の歌声を耳にした時の感動は、今でも一瞬にして私の心を鮮やかに彩ってくれる。

何度も、彼に救われてきた。つらいことも、理不尽なことも、彼の作品に対する姿勢を見て、私も頑張ろうと思えた。ライブに行って彼のエンターテイメントを肌で感じて、皆と一体になって歌ったり踊ったり、ライブ後の打ち上げでまた盛り上がって。私の日常生活に彼の存在があったから、これまで生きてこられた。大げさなんかじゃなくて、本当にそうだった。絶対に交わらないと分かっていても、彼の存在はかけがえのない支えだった。

週刊誌にすっぱ抜かれるようなスキャンダルなんてなかった。彼はプロだった。恋愛もしていただろう、だってあんなに魅力的なエンターテイメントを作れる人なんだから。たくさんの人に揉まれて、私なんかには到底想像もできない経験を積んできて、恋の甘さも苦さも痛さも、すべてを自分の糧に変えられる人だったんだろう。
自分の魅力も立場も影響力も嫌というほどに、知っているのだろう。彼は、ファンを悲しませるようなミスを決して犯さなかった。上手く隠してくれていた。それって、私たちファンへの最大の愛なんじゃないのかな。

彼がライブ中に見せてくれる笑顔も、歌も、ダンスも、何もかもが言葉に出来ないくらい素晴らしかった。彼が、見せかけじゃなくて心から楽しんでいて、私たちファンを大切に思ってくれていたと自信を持って言える。私たちの歓声は決して一方通行じゃなかったと、信じている。

当分の間、涙と愛は止まってくれないと思う。けれど、私はこれからも私の人生を歩んでいかなかればならない。生きていられる限りは。

彼がよく言っていた。今は今しかないから、大事にね。何度も聞いて分かったつもりでいたその言葉が、やっと心の奥に届いた気がした。

15年以上、応援してきた。

鳴りやまないSNSの通知を切った。情報収集及び彼のファンとつながる目的で始めたSNSだ。

彼にまつわる物であふれた部屋を、もう一度眺めた。

捨てようと思っていたグッズも、チケットも、今とは違う気持ちで片付けられる時まで一緒にいよう。

とりあえず、床が見えるくらいには片付けなきゃね、と涙と鼻水を拭って私は動き出した。


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