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不器用こそ素質 #07 不器用のススメ

私は、学生時代、ある競技の選手でした。

中学生時代に、非常に競技センスの優れた同級生がいました。
私が、1週間掛けて繰返して、やっと出来るようになった動きも、その同級生にかかれば、1時間程度で出来る様になってしまいます。
練習をサボりがちな同級生に対して、私の方が一生懸命に取り組んでいましたが、実力、実績とも及びませんでした。

・・・正直、そんな不器用な自分を卑下しました。

その後、お互いは、異なる高校に進学し、高校2年生の春季大会で、私は、その同級生と戦う機会を得ました。
結果、嘘の様に簡単に勝つことが出来ました。
その後も、何度か対戦することがありましたが、全て圧勝し、一度も負けることはありませんでした。

以前、あるテレビ番組で、法隆寺などの文化遺産の修復を手掛ける優れた宮大工の棟梁の話しが取り上げられていました。
その棟梁は、自身の技術を継承するために、毎年100人を超える問い合わせから面接をして、弟子を雇い育てていると言います。

その採用基準を次のように語られていました・・・

「自分は不器用な子を採用します。」
「器用な子は理解も早く、すぐに仕事が出来てしまうが、不器用な子は時間がかかります。」
「器用な子は仕事を頭で覚え、不器用な子は仕事を体で覚えます。」
「体で覚えた仕事は、決してブレないホンモノの技となります。」
「下手は下手なりに一生懸命に仕事に向かう子。そういう子を採用したいと思います。」
「何故なら、自分達の仕事は、法隆寺のような千年も持つような建物を相手にするのですから・・・。」

何事も早く成果を出したいと思うのが人間心理です。
しかし、意外と、早く成果を出すことは求められていないのかもしれません。
むしろ、多少、時間がかかっても良いので、法隆寺の様なホンモノが求められている場合も少なくないのかもしれません。

農場には、即効性のある解決策など存在しません。
種を蒔き、 肥料を与え、水をやり、成長を支え、そして収穫するのです。
つまり、種を蒔かずして、決して収穫することはできません。
さらに、どんなに努力したからと言って、台風などの不可抗力により、収穫が叶わない可能性だってあります。
この「蒔いたものしか収穫できない」と言う「農場の法則」は、人間が成長あるいは成功するためのプロセスとして存在する、ある意味、原理原則なのだと思います。

勿論、器用な上に、努力を惜しまない者ならば最強なはずです。
しかし、器用だからこそ、辛抱することができない場合が多いことも事実だと思います。

努力は必ず報われるとは限りません。
しかし、努力せずして報われることはありません。
いつ成果として現れるか分からずとも、決して妥協することなく、努力し続けることにこそ価値があるはずです。

中学時代の恩師に言われたものです・・・
「お前は不器用だから、他の奴等が簡単に出来ることにも時間がかかる。」
「しかし、お前は、それでも、諦めないで取り組むだろ。」
「お前にとって、不器用なことが素質なんだぞ。」
「不器用で良かったな。」

・・・最後の「不器用で良かったな。」で私は救われました。

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