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32歳ゲイ。帰国にあたって今の自分自身の気持ちを整理する。


僕は32歳のゲイで弁護士である。1年間アメリカ・カリフォルニアでのロースクール留学、その後1年間イギリスとドイツでの勤務を終え、ようやく日本に本帰国する。

キャリア的にも、人生的にもまだ不確かなところが多い32歳。3か国で暮らして、「国際的な経験をして、価値観が変わった!」と表向きにはきれいなことを言っているのだが、なんとなく消化しきれていない感覚が残っている。

海外生活も一区切りとなる今改めて、これまでの人生と、留学を経て変わったこと、感じたこと、自分のこれからについて、まとめてみたい。自分の今の気持ちを言語化して整理することが目的なので、自分のための文章である。外向きではない恥ずかしいところも多々あるが、ただただ書き連ねる。

これまでの人生、ゲイであること


ざっとこれまでの人生を振り返ると、しんどいこともたくさんあったけれど、ありがたいことに人と環境に恵まれた人生であった。サラリーマンで寡黙な父ととにかくポジティブで愛にあふれた母親の間の三人兄弟の末っ子に生まれた。平凡で、決して裕福ではなかったが愛にはあふれた家庭であった。

東大法学部を卒業して、弁護士になり、大手法律事務所に就職。朝の3時、4時まで働く生活が続いた。仕事は正直しんどいときもたくさんあった(恥ずかしいけどストレスで一時期十円はげができた)。けど、周りの人に恵まれ、充実した生活を送ってきた。経歴だけはまあまあ立派になったものの、実力ではなく、ラッキーが続いて今の場所にいた。中身が全く伴っていないことを知っていたから、いつも自分に自信がなかった

また、優しい家族や友達に囲まれた環境であったにもかかわらず、特に学生時代はどこか孤独に感じることがあった。ゲイであることがその原因の一つであったと思う。ゲイであることは、僕のなかでずっと大きな問題であった

僕にとって、ゲイであることは恥ずかしいことで隠すべきことであった。人とのコミュニケーションの中で隠すべき部分を作ることは、嘘をつくこと、壁を作ることでもあった。自分を隠していることは相手にすぐ伝わるものである。また、ロールモデルが特にいなかったことも不安とさせる要因の一つでもあった。みんなにゲイであることを隠していたときは、本当の自分が知られたら、もしかすると自分を愛してもらえないのではないかと思うことがあった。

ゲイとしての生きる意味


学生時代、ゲイの自分にとっての生きる意味はどこにあるのだろうかと考えていた時期があった。ゲイである自分には、子どもを育て、次の世代につなげるということは簡単ではない。その中で、どのように生きる目的、生きがいを見出すことができるかを考えていた。

今も明確な答えはないものの、この世の中に何かを残すこと、心血を注ぐ何かを持つことが僕にとっては生きる意味、生きがいにつながるとひとまず今は思っている。自分が存在しなかった世界よりも、自分が存在した世界のほうが誰かにとって少しでもよいものといえるのであれば、それだけで僕が生きた意味があったといえるのではないか。

生きがいは、多くの人にとっては、自分の子どもに愛情を注いで育て上げることなのかもしれない。名声や偉大な業績を残すことが生きがいとなる人もいる。けれども、生きがいはそれほどたいそうなものでなくてもよいかもしれない。ただ1人の人生によい違いをもたらすだけでもいいのではないか。家族や友だち、同僚の誰かが、あのとき僕がいて助かった、といえるような瞬間があるだけでも僕にとってはいいのである。

弁護士を目指したのは、社会におけるマイノリティや、助けを必要とする人たちを守れるような存在になりたいと思った(のとモテたかった)からだった。法律を勉強することで、誰かを守る「盾」となる存在になれるかもしれないと考えていた。

弁護士になってからは、企業法務をメインとする法律事務所に就職した(結局長いものに巻かれた)。けれど、メインの業務とは別に、難民の弁護や、LGBTのNPOなどのプロジェクトをできる限り担当させてもらってきた。企業法務ももちろんエキサイティングだけど、こうした助けを必要とする人のために直接役立つ仕事には、また違った大きなやりがいがあった。

留学に行った理由

弁護士として5年ほど働いた後、アメリカのロースクールに留学にいくことにした。僕が留学にいった理由は大きく3つある。

  1. 仕事の専門性を磨くこと

  2. ゲイとしての生き方を模索すること

  3. 多様な経験をする中でより自分を理解すること

これまでほとんど海外経験がなかったので、comfort zoneを抜け出して、何でもトライしてみることにしていた。Yesマンだった。例えば、一人で、誰も知り合いがいないパーティやイベントにも行きまくったし、経験したことないものについてはすべてひとまずやってみた。後悔はしていないけど、失敗ばかりしていた。今思い出してもめっちゃ恥ずかしいことがたくさんある。ひゃあ。

留学をして変わったこと


そんな海外での生活を経て、一番大きく変わったことは、ゲイとして、queerとして生まれてよかったと初めて思えるようになったことである。ゲイである自分に対して、少しの自信と誇りができた。

まず、アメリカ、イギリス、ドイツ、世界のどこにいっても、現地のLGBTのコミュニティにたくさん救われた。海外の一人生活だと、友達作りに苦戦することもあったが、ゲイであるというだけですぐにつながれるコミュニティ、人たちがいた。ごはんやコーヒー、パーティに連れ出してくれた友だち、本当にありがたかった。。

自分のなかでゲイであることに折り合いがついた。ゲイであるからこそ、マイノリティであることがどういうことかを知ることができたし、ほかのマイノリティが日々直面する問題についても想像力を及ぼすことができるようになった。ゲイとして生まれたことは、相手の感情や状況に思いをやり、理解しようとするきっかけを与えてくれるものであった。エンパシーが強くなった。

社会の普通から外れた存在になることによって、はじめて見える世界線がある。ベルリンのqueerのためのクラブや、サンフランシスコのPrideパーティ。誰にもジャッジされない、safeな場所。圧倒的な解放感。普通な人には見えない世界、感覚が広がっていたような気がする。違うかもだけど。ゲイであるからこそ生まれた物語がたくさんあることに気が付いた

世界中のfearlessで自由に生きるLGBTの人たちとたくさん出会う中で、今のゲイの自分も悪くはないもんだと思えるようになった。ゲイであることは、イシューではなくなったし、ゲイである自分に自信がついた。この点は、僕にとっては最も大きな変化で、この変化をとてもうれしく思う。

自分はラッキーな環境に置かれて、自分にとっては問題ではなくなったけれど、幸運な環境でない人もまだまだたくさんいる。助けを求める人、特に子どもたちがいれば、自分ができることがあれば、何でも役に立てるようになりたいと思っている。

日本でダイバーシティを促進するアプローチについては、どのようにすればよいのか正解が僕にはよくわかっていない。アクティビストとして権利を主張することももちろん大事だけど、助けを必要とする子どもたちにとって、アクセスができるようになること、ただ普通にハッピーなゲイが社会に立ち現われるだけでも意味はあるかもしれない。これまでの経験を自分の中で消化して、小さなことでも、自分にできることをちゃんと考えていきたい。

世界が広がったこと

3か国、文化や考え方が違う国で生活して、日本とは異なる考えに直面する中で、自分の中で「当たり前」「普通」に思っていたことを改めて問い直すことができた日本のことを相対的に見ることができるようになった。自分が当たり前に思っていたことも、場所によっては全く考え方が違っていて、当然ではないことを痛感させられた。高額な医療費、治安が本当に悪化してしまった都市。普通の人が住める住居がなくなった都市。ドラッグの問題。サービスやプロダクトの質の違い。家族や仕事に対する考え方。コミュニケーションスタイルの違い。ゲイとしての生き方も、国、都市によって全く違う。アメリカ、イギリス、ドイツはいずれも同性結婚ができる国である。ゲイの同世代の友人でも、husbandがいて、家族を築いている人もいる。1人で気ままに生きている人もいる。

知らない世界を知ること、広がっている選択肢を知ることは刺激的だった。日本では僕がもっていない視点や選択肢を見ることができたことは、自分自身の人生をもう一つ外の枠から見直すきっかけを与えてくれた。

また、日本をより好きになることができた日本まじですげえ。日本で当たり前に思っていたことに感謝できるようになった。長い歴史と独特な文化。圧倒的なサービスの品質の高さ。クリーンで安全で秩序が保たれている街。安定し成熟した社会。それらがいずれも当たり前でないことを改めて認識した。これほど住みやすい国はない。また、日本まじすげえのである。優勝。


キャリアについて

目的としていた専門性を高めるという目標は一応達成できた。特にイギリス、ドイツでは、目的としてTechnology分野の法律に関する業務の経験を積むことができた。

と表向きにはいっているが、結局、現地の弁護士たちほどは働いていなかったし、自分の英語力の向上しなさに絶望している。2年間海外にいたのに、英語のレベルがまったくもってまだ足りない。もう海外に住んでたことをいうと期待に応えられないから、海外の経験はできる限り隠している笑。もっと必死にやっていればと思うこともあるが、諦めず帰国した後も英語には向き合っていきたいと思う。くうう!めげずにがんばろ!

あと、国際的に働きたいという気持ちがとても強いことに気が付いた。シンプルに楽しい。グローバルに働けるような実力をきちんとつけていきたい。きちんとした英語が使えるように、もっともっと努力しよ。がんばろ。


課題に思っていること

いろんな経験と失敗をするなかで、自分の中の課題もいくつか見えてきた。

選択が苦手であること
選択肢が増えること、世界が広がったことは素晴らしいことであるけど、他方で、選択をしていく力が必要となる。選択肢のパラドクス問題。けれど、自分は選択をすることが苦手だったことに気が付いた。例えば、キャリアも、東大法学部→大手法律事務所→アメリカ留学という流れも、ある意味で選択をせずにここにいるのである。何かを失うような選択をしてこなかった。人によしとされない、みんなにとっての正解といえないような選択をしてこなかった。

ポジションをとらないこと
同様に、自分はポジションをとることも苦手だった。自分のスタンスを明確にしないことが多い。人との対立を避けたいという気持ちに加え、自分の意見がそもそも持てていないことも多い。特にアメリカでは、どうでもいいようなこと、知らないことでも自分の意見を持つこと、伝えることができる人が多かった。まあ、適当なことも多かったけど。

価値基準がないことと他者へ依存した評価
選択が苦手なこと、ポジションをとらないこと、意見を持たないこと。その理由の一つはきっと自分の中での価値基準がはっきりと定まっていないからである。背景には知識不足がありそうだけど、どういうことが自分の中の正義、評価軸なのかが明確でないことも大きい気がする。

自分の価値基準が明確でないから、評価は他者の基準に依存する場合も多い。例えば、旅行もスタンプラリー的な旅行をしてしまっていたことも多い。適当に「ロンドン 観光」などとググって、とりあえず定番の観光名所をめぐり、写真をインスタにあげて終わってしまっていることも多かった。ちょっと情けないけど、自分の価値基準、したいこと、やりたいこともしっかりと持っていないから、これまでの選択も、みんながいいと言う選択になりがちであったように思う。

だから、みんなにとっての「正解」がはっきりしない領域は少し弱い。小さいころから、点の取れる答案を書くのは得意だったのかもしれないが、読書感想文が一番苦手で嫌いだった。僕はきちんと自分と向き合って来なかった気がする。他者に依存しない自分の基準を持てていなかったのかもしれない。

誰も傷つけない優しいコミュニケーションとりすぎ問題
いつも誰も傷つけないコミュニケーションをとりがちである。ゲイであること、弁護士であることもあってか、言葉の使い方には特に気をつかいすぎてしまう。相手の感情にものすごくセンシティブである。人によって、言葉の受け止め方、意味が違うことも知っているし、いつも慎重になりすぎる。

けれど、誰も傷つけないコミュニケーションでは前に進めないこともある。スタンスをとっていくこと、必ずしもみんなにとってハッピーとならない選択もこれからは意識的にとっていかないといけないところに来ている。

リーダーシップ像
こんな自分の性格もあって、自分がマネージャーやリーダーポジションに向いていないとずっと思っていた。最初の上司にも「君は優しすぎる」と怒られた。アメリカではやたらとリーダーシップが求められることが多くて、その度に、自分は足りていない分野だなと思っていた。けれど、先日メンターとの1on1の中でリーダーシップ像にも今はいろんなタイプがあり、よいチームを導いていくリーダーシップスタイルも様々であってよいと改めて気が付かせてもらった。強権的な強いリーダーシップスタイルは僕には向いていないかもしれないが、僕なりのいいチームの作り方をこれから模索していきたい

こうした課題というか、悩み点は今すぐにどうにかできるものではない。けれど、小さなところからトライと失敗をたくさんしてみて、自分なりの方法を模索していきたいと思う。


感謝とCredoへの回帰

そして今改めて思うのは、人と周りの環境に本当に恵まれていたなーということである。マジで感謝だわ。実力なんていつも足りていなかったけど、挑戦させてもらえる環境があって、見守ってくれる人たちがいた。この2年間は特に、たどたどしい英語で、意味不明なことばかり言ってただろうにもかかわらず、アメリカでも、イギリスでも、ドイツでも、必ず辛抱強く見てくれている人がいて、何度も救われてきた。本当に死ぬほどありがたかった。英語が思うように話せなくて、情けなくなったり、恥ずかしくなったり、心が折れる瞬間がたくさんあったけれど、気にかけてくれる人がいるというだけで、気持ちが救われたちょっとした挨拶だったり、しょうもないメッセージだけでも、思い遣りは伝わる。僕もそういう人になれるようにがんばりたい。

やはり自分のCredoは、自分のいなかった世界よりも、自分のいた世界が少しでもいい世界になっているようにするということである。誰か一人でも僕がいて救われたという人がいたら、それだけで、反対に僕が救われる。32歳。愛を与えられる側からもっと愛を与えられる存在になっていかないといけないな。自分に与えてもらったものは、誰かに同じことをして、恩返しをしていきたい。


これからどうしたいか

もうなんか思うままに書き広げてしまったので、無理やり話を着地させたい。まずは、もう少しきちんと自分と向き合いたいのである。30歳も過ぎて今更自分探しというと恥ずかしいも気がするのだが、自分の軸を見つめなおす。価値観を問い直すという作業を続けていきたい。自分のスタンスをとる。選択をしていく。ゲイとして、結婚がない、子供をもたない人生について、そろそろちゃんと向き合って考えていきたい。残りの人生、自分が何ができて、何をしていきたいか、人の評価とは離れて決断ができるようになりたいな、と。

また、グローバルに働くのはとても好きであることに気が付いた。そのようなキャリアに進んでいけるようになるためにも、英語がんばろ。今は、人間として浅すぎる問題があるのだけど、弁護士としての実力もきちんとつけていきたい、さすがに。キャリア的にも法律事務所でパートナーとなる選択も見えてくる、お年頃な年代になってきた。今は少し負荷が高くても、いろんなことをトライして、挑戦していきたい。

うまく話をまとめられないけど、心血を注ぐ対象、生きがいを見つけられうようにがんばろう。そろそろ自分のためだけでなく、誰かのために生きていくように。一歩一歩がんばろ。




ちゅっ!

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