人生は元々、「絶望の連続」|【大河の一滴】
どーも!
わーさんです!
日曜日ですので、#2021年に読んだ本の紹介 をしていきます。
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『大河の一滴』
五木 寛之
著者
五木 寛之(いつき ひろゆき)
・1932年、福岡県生まれ。
・小説のほか、音楽、美術、歴史、仏教など多岐にわたる文明批評的活動が注目されている。
本書の概要
・人生における価値観の提供
・悩める時代だからこそ、役立つ知恵が書かれている
今回は、本書の冒頭の部分を3つ紹介します。
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■なぜかふと心が萎える日に
「私はこれまでに二度、自殺を考えたことがある。」p.13
このような書き出しから始まっています。
あなたはこれまでに「自身の死」について考えたことがありますか?
別に自ら命を絶つことだけではなく、生活をしていれば「生きる」ことと「死ぬ」ことは隣合わせなんだと感じると思います。
そう考えた時に「生きる」ということだけでも、素晴らしいことだと思うはずです。ただ、そう思うことが出来ない人もいます。
人生を投げ出したくなる。めんどくさくなる。どうでもよくなる。
そう感じるのも普通なことです。現代はそれぞれの世代ごとに悩みを感じるものになっているのかもしれません。それだけ選択の幅が広がり、人生をどうしようかと考えることが多くなっているのも要因のひとつかと思っています。
そういった「こころ萎え」る瞬間は何度か訪れる。そんな時は時間が解決してくれます。ゆっくりと気持ちを泳がせてみる。
その時間を耐えきれないのなら、自分が好きなことを散々してみる。嫌なことをしないで、好きなことをずっとやる。
そう私は読んで感じました。
■人生は苦しみと絶望の連続である
「人は生きていくなかで耐えがたい苦しみや、思いがけない不幸に見舞われることがしばしばあるものだ。」p.18
人生というものがおおむね「苦しみの連続」だと思うようになれば、気持ちの面でも少しは楽になれるはずです。
自分が行うことをすべて期待しすぎてしまうと、それだけで「萎え」を引き出してしまう回数が増えてしまいます。
人生は希望よりも絶望の方が多い。絶望があることを基準とした時に、希望的なことが叶えば、それだけで人生を明るいものだと思うこともできる。
希望的なことに期待しすぎるがあまり、より絶望を感じてしまい、萎えを生み出してしまうことにつながるのかと考えています。
■ブッタは究極のマイナス思考から出発した
『ブッタの出発点も、「生老病死」の存在として人間を直視するところからだった』p.22
「生老病死」とは、人間が避けることが出来ない4つの苦しみのことです。
・生きること
・老いること
・病気になること
・死ぬこと
このことを「四苦」とも言ったりします。
このことを出発点として考えていたブッタもマイナス思考の人間だったということが見えてきます。
避けることが出来ない人間の宿命に対して、人はどのように生きるのか?
「泣きながら生まれてきた」人間が、「笑いながら死んでいく」ことは、はたしてできないものなのだろうか。
著者は難しいと言っています。
しかし、ブッタは微笑みながら病で死にました。
ここから感じることは、マイナス思考の始まりでも、プラス思考の人生として終わりを迎えることができる。最期は病を抱えて死を迎えることになっても、笑顔で人生の最期を受け入れることができる。
そう感じることができる人生を歩めるかどうかが「生きること」という宿命なのかと感じました。
「自分なりの答え」を見つけたいと思いました。
まとめ
今回は『大河の一滴』を紹介しました。
今のまだ、世界的には不安な状況が続いています。その状況が続くと気持ちもどんどん低下していき、何もかもしたくなくなってしまうこともあります。
ただ、人間がそう感じること自体が普通なこと。無理して、自分を強く見せる必要もないのだと私は感じました。
現代を生きていると、どうしても「強い人間」が社会を引っ張っていっている感じがします。「強い人間=価値のある人間」とも定義してしまうほど、人と人との格差が開いてしまっている感じもしています。
それによって「自分は価値のない人間だ」と思い込んでしまうかもしれません。でも、そのように考える必要はないのです。
人は生まれただけで価値があります。そのことについて向き合わないから、自分には価値がないと勝手に決めつけてしまうのです。
自分の人生がつらい状況にあるのなら、その現実を受け止めるのも難しいかもしれません。次へのきっかけを本書を読んで感じとっていただきたいと思っています。
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