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子育ての成功と失敗

学習塾で働いていて、保護者さんとお話をしていると、こんな話をよく聞きます。

・漢字はこういう勉強をさせています。この点はうまくいっているのか、漢字は得意なんです。
・英語は今のうちからやらせたい。うまくいくかわからないけど。
・親の失敗だけど、幼少期に英語をさせすぎて、国語が苦手になってしまった

などなど。

いつも思うのは、

うまくいく、うまくいかないって何基準なんだろう?

*

こういった言葉を聞くと、どうしても子供をコントロールしようと思っているような感じを受けます。

「こうやってみたけど、うまくいかなかった。」
「ここは親の失敗なんですが、」
というのは、つまり、親が思うように育たなかったということだと思いますが、
なんだか、子供に失礼な気がします。

*

僕が勤める塾にくる生徒さんは、小学5年生から高校3年生までが多いです。

十数年のことで、成功失敗の判断をするのは早すぎる気がするし、
子供たちの成長はむしろ、親から自立したあとが本番。というか、自立したあとに子供自身の考え方次第でいかようにも育っていくもの。と僕は信じています。

その基盤となるものの考え方を教育してあげるのは親の大切な役割だと思っていますし、
学習塾という場で僕とお話しているので、うまくいく、いかないというのも勉強のことについてのみの評価だとは思いますが、

でも、推して知るべしというか。勉強以外のことでも、うまくいった、うまくいかなかった、と評価しているんじゃないかなと邪推してしまうのです。

*

親としては子供に幸せになってほしいと思っているはずです。

子供が幸せになるために、親がやった方がいいと信じることを子供にさせること自体を否定しているのではないですが、
子供にやらせてみた結果、それがうまくいったか、うまくいかなかったというのは、親が判断することじゃないと思います。

英語をやらせてみて、身になるほどやるかやらないかは子供の選択
英語をやらせてみたことで、その他の勉強をやるかやらないかは、子供の選択
勉強のしかたをアドバイスしてみて、従うかどうかは子供の選択
遊んでばかりいて勉強しないとどういうことになるかを提示して、遊び続けるのかどうかは子供の選択

親が子供にやらせることができなくて教育に失敗してしまった、と変な自責を発動する必要はないじゃないのかな。と

子供がやるやらないを自分自身で選択した結果、うまくいかなかったと子供自身で思うのなら、次はどうしたらいいかを考える段階で親がサポートとしてあげる、という形がよいのではないかなと思っています。

■■今日の教訓(ポイント)■■

親は環境だけを用意してあげて、やるやらないは子供の選択。

■■以上■■


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