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不安との向き合い方 消えた天才 元マンチェスターシティ マイケル・ジョンソンを例に考える

本日は、天才アスリートの挫折から、不安に対しての向き合い方について考えていきたいと思います。
放送のきっかけになったのは「プレミアリーグ・トークショー」というYoutubeチャンネルのある回からです。
プレミアリーグは、世界四大リーグの一つと言われ、サッカー日本代表の南野選手がリバプールに在籍していることから、ますます注目度が上がってきているリーグの一つと言えます。

このnoteはVoicyの過去の放送を文字に起こしたものです。

アスリートの挫折から不安に対しての向き合い方を学ぶ

このプレミアリーグトークショーは、
「選手や監督やチームについて、丁寧に取り上げられている、パーソナリティであるケニーとトモの二人の掛け合いが面白く、海外サッカーの初心者から玄人まで楽しめる内容になっている」ので私の最近のお気に入りのチャンネルです。

そのなかで私の印象に残って、当チャンネルでも取り上げたいなと思ったのは、「若き天才が24歳で引退、マイケル・ジョンソン鬱との闘病キャリア|マンチャスターシティ」という回でした。

何故取り上げたいかと思ったかというと、「天才アスリートの苦悩、そこからどのように立ち直ったのか」について、丁寧に掘りさげられてています。
そして、これからのVUCAと呼ばれる先行きが不透明な時代の何かしらのヒントがあるかなと思ったからです。

天才 マイケルジョンソン選手の経歴と闇について

では、今回のきっかけになった
「若き天才が24歳で引退、マイケル・ジョンソン鬱との闘病キャリア」の内容について触れていきます。

まず、マイケル・ジョンソンのキャリアについてです。
1998年、イングランドのマンチャスター生まれの32歳。
ポジションは中盤の底であり、攻守の要であるディフェンシブミッドフィルダー。

イングランドのアンダー16,19、21の代表に選出されます。
・17歳の時にマンチェスターシティのアカデミーの主将
・18歳の時にマンチェスターシティでプレミアリーグデビュー
・19歳の時に23試合出場2ゴール、3アシストを記録
まさにエリートです。
このエリートを裏付けるエピソードが2つあります。

・1点目
マンチェスターシティは、今でこそ、プレミアリーグの強豪ですが、当時は中堅レベルでした。そして、これから強豪になっていく過程での一つのミッションが、ジョンソン選手との長期契約だったようです。19歳にして、年俸4億円の5年契約を結びます。

・2点目
当時一緒にプレイした元ドイツ代表のハマン選手は、このように評価しております。

「あの年齢で、ジョンソン選手以上の選手は見たことがない。私が見た中で最も完成度の高い選手だった。」

ジョンソン選手は、18歳、19歳の時点ですでに完成されていた選手でした。

このまま順調に成長すれば、現代で言うところのメッシやクリスティアーノロナウド等と肩を並べるようなスター選手になっていたかもしれません。。

しかし、20歳で怪我をして、そこから、アルコールに逃げてしまい、精神的にやんでしまい、24歳の若さで引退をしてしまいます。

そして、こんな言葉を残します。「一生、僕に関わらないでくれ」

では、なぜ、若い時から完成されており、天才と呼ばれ、クラブのレジェンドにもなり得たにも関わらず、挫折をしてしまったのか?

彼には、一つ決定的に足りない要因がありました。それは、「自分に対しての自信」でした。

サッカーの才能に溢れており、何故自信が持てないのか、それを掘り下げるには、サッカーを始めた幼少期から遡ります。

まず、ジョンソン選手の、父親はサッカーが大好きで、海外の強豪チームにジョンソン選手を売り込みます。海外の強豪チームが相手でもジョンソン選手は圧倒して、まさに無双という状態だったようです。

そして、その才能が認められて、12歳の時にオランダの強豪フェイエノールトにいき、その後は、イングランドに戻り、リバプール、エバートンを経て、マンチェスターシティに移ります。

なぜ、マンチェスターシティに至るまでにチームを転々としたかというと、
色んなところでサッカーを経験をさせるという、父親の教育に対しての方針だったからのようです。

このように一見すると、順調にプロサッカー選手になるためのステップアップをしているように移りますが、この時に彼の内面に変化が生まれたようです。

「ぼくの性格は10歳から12歳の時に芽生えた。マインドセットがとにかく低かった。とにかく自信がなくて、とにかく自尊心、自己肯定が一切なかった。プレーして一番になることでなんとか保てた。僕が一番であれば僕には価値があると思いこんでいた」
「自信のなさはフットボールとは全く関係なかったと思う。
中学に上がる時に気持ちの変化があった。僕は全く自信がなかった。だれとも話せなかった。僕はあの子たちとは違う。彼らは面白い、僕はつまらない。彼らは僕より大きいし強い。常に隣の子より無価値と思っていた。

何故、自己への評価がこんなに低いのか、そこに至った出来事や理由までは、放送を見ても分からなかったのですが、
サッカーだけは自信があり、サッカーのみが心の拠り所だったようです。

であるので、モチベーションは半端ない、ただこのモチベーションは強迫観念に駆られていたのではないでしょうか?

このように、生まれ持った才能に加えて、サッカーに対する覚悟が違うので、トップチームに昇格してからも結果を残し続けます。トップチームに昇格してからこのように振り返っています。

「一軍でプレーする機会も増え練習でもハードワークが出来た。試合後は最高に気持ちよかった。」

しかし、試合の翌日には、いつもの自信のない自分に戻ってしまいます。「褒めているのはフットボーラーの僕で、人間としての僕は無価値」とまで思ったようです。

そして、最終的には、モチベーションがどん底に落ち込みます。

「ちょうどこの頃だった。レギュラーに定着しつつあった時、すべてのモチベーションを一瞬で失った。
いままで一軍に上がれば気が楽になると思いこんでいた。気が楽になるどころかどん底に落ちてしまった。」
「いままでやってきた努力は無駄だとわかった瞬間、すべての希望を失った」

唯一の希望である、サッカー選手として活躍できれば、人間としても成長できて、人としても自信がつくと信じていたが、いざ頂点が見えると自分に変化は生じず、無価値のままであることに気づいてしまったようです。

端(はた)から見ると、才能にも優れ、ものすごい順調にキャリアパスを詰んでいると思えますし、人の内面はホントにわからない、計り知れないなと放送を見て、私は感じました。

では、絶望に陥ったあとに、どのように自信を取り戻していくのか次のチャプターで触れていきます。

天才マイケルジョンソン選手は何故立ち直ることができたのか?

絶望に陥った後のマイケル・ジョンソン選手ですが、20歳から怪我に苦しみます。腰、腹筋の手術を2回、靭帯の損傷でリハビリを繰り返します。

そして、生活も崩れます。時間があるときは、少しでも心を和らげるためにクラブへでかけ、お酒を飲み、嫌なことを忘れるようになります。

また、負傷からのリハビリには行きますが、人の視線を感じるだけで恐怖に怯えて、誰にも声をかけられず、誰にも見られない事を願っていたようです。
当時の問題をこのように振り返ったようです。

「誰一人相談しなかったのが一番問題だったと思う。自分の感情を隠すのが得意だったので誰も気づいていなかった」

そして、24歳の時に転機があります。(悪い意味でも良い意味でも)
このころ、飲酒運転で2度捕まります。捕まったあと、アルコール依存症から立ち直るため、精神病院に入ります。

「あそこにいって安心できた。僕のことをしっていたらどうしよう?と不安だったが色んな状態で苦しんでいる良い人たちに出会えた。
2週間滞在したんだが自分と似た心境の人たちと話せたのは気が楽になった

今までは、「エリート、天才として、第一線の現場しか経験をしていない。当然その周りには自信に満ち溢れた選手ばかり」でしたが、
この施設では、
「不安に向き合いながらもなんとか立ち直ろうとしている人たちと話すことができた、悩んでいるのは自分だけじゃないんだと気づく経験」が、立ち直るきっかけになったんだと思います。

そして、このようにジョンソン選手は振り返っています。

「問題の全ては僕の自尊心だった。他人の意見や行動は代えられない。それを理解しなければいけなかった。以前の僕は人々が僕についてどう思っているのか不安で仕方なかった。目を向けられるのも恐れていた。
だが、人が僕を見るのは代えられないし、僕への意見も代えられない。
変えられないモノは変えられないと受け入れた時、人生が楽になった」

絶望に陥ったジョンソン選手が経験しての言葉なので、とても刺さります。

その後、マンチェスター・シティグループ社長に引退を告げます。
そして、治療に専念し、26歳の時に第二の人生を歩み始めます。
知人とバーの経営、その後、父親の不動産を引き継ぎアメ車のディーラーを開店。
そして、現在の生活についてこのように言っております。

「いまはすごく楽しいよ。今までMike the Footballerでしか、知られていなかったが今は違う。面白いもんだ。人生をうまく立て直せると昔は問題だったと思っていたものが大した問題ではなかったと思える」

そして、インタビューではこのように締めくくります。

「一つ学んだ事は自分への偏見は事実ではないということ。自分への偏見、自分の評価を変えるだけで問題は消える。とてもシンプルだよね。フットボール。僕はフットボールをするために生まれた。だが僕の自己否定がそれをさせてくれなかった」

まとめてみて、私が思ったのは、ジョンソン選手は
「責任感が強く、自分を追い込みすぎる。ゴールは一つしかないという、そしてそれに期待しすぎる、コントロールできないことまでコントロールしようとしてしまう。そして、尺度も判断基準も限られている。
変えたいと思っていた対象も、コントロール出来ない領域だったのでは、それに対して期待を持ってしまった」

ので絶望を感じてしまったんだろうなと。

ですので、やりたいと思うことをやり通すことは非常に難しいなと思いました。次のチャプターでは、仕事や日常生活に使えるTipsについて考えていきます。

Tips 努力は必ず報われるという訳ではない

さて、Tipsに入る前に事前にお伝えしたいことがあります。
今回の元の放送になった「若き天才が24歳で引退、マイケル・ジョンソン鬱との闘病キャリア」については、物凄い考えさせられる回ですが、結構、解釈の余白は多く、感じ方や気づきは人それぞれだなと思いました。

例えば、「自分への評価が低い」というファクトについては触れていますが、「どうして低くなった」かという理由について触れられていない。
多分、ジョンソン選手自信もわからない、言語化できていないんだろうなと思います。ですので、元になった放送もぜひ、お時間のある時に見ていただければと思います。

それでは、私が今回の放送で導き出したTipsについて発表します。
それは「努力は必ず報われるという訳ではない」ということかなと思います。

まず、現在はVUCAと呼ばれるように、先が読めない時代で、今まで信じてきたやり方が通用しにくい社会と言えます。
そんな中で、これからのロールモデルを描いてそれに向かって進んでいくことは大事だと思いますが、「そのための努力を繰り返す」「そうすれば報われる」「それに頼り切る」のは危ういのかなと思いました。

また、SNSをはじめ、色んな情報が毎日入ってきて、周り、他者と自分を比較したり、そしてその評価軸に左右されてしまうことも危険かなということです。

なので、色んなストーリーがあり、例えばAという道を歩いて違うなと思った時は立ち止まったり、引き返したり、違う道を選ぶ、その時に周りからの評価に左右されないということが大事なのではないでしょうか?

サッカー選手であり続けることにこだわらなくなったことで、第二の人生を楽しんでいる、マイケル・ジョンソン選手のようにです。

収録をしてみての感想 解釈やTipsの多様性について

さて、本日の放送ですが、如何でしたでしょうか?

結構重いテーマですし、自分も鬱に対しての知見もないので、取り上げようかは結構迷いました。しかし挫折を経験して立ち直った人の言葉はものすごい刺さるし、説得力もあったので、取り上げました。

自分なりに消化してきましたが、切り取り方や見る人の置かれている状況や心境など文脈によって、色んなTipsが導きだせるかなと思いました。

今回のTipsは「努力は必ず報われる。。。 という訳ではない」としましたが、当チャンネルの過去の放送回のTipsも参考になるかもしれません。

例えばですが、
・7月8日放送の「池江選手を勇気づけた生きてるだけで丸儲けとは」
・7月24日放送の「宇野昌磨の会見から学ぶ弱さを受け入れる強さ」
・7月27日放送の「トップアスリートに学ぶ自責と他責の使い分け方」
・9月9日放送の「競泳 萩野公介選手の不調の乗り越え方」
とかは如何でしょうか。

そして、この放送回のもととなっている「若き天才が24歳で引退、マイケル・ジョンソン鬱との闘病キャリア」のURLも貼っておきますので、お時間のある時、是非アクセスしていただけたら嬉しいです。

そして、今回の放送 と この放送の元となっているYouTubeを視聴いただき、自分なりのTipsを導き出していただけたらと思います。

このnoteはVoicyの過去の放送を文字に起こしたものです。
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