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身体は楽器

随分前ですが、楽器奏者の人たちが楽器を巧みに操っている様子をみたり、楽器のスペックや材の話をしたり、メインテナンスをしてる姿を目にしたりするときに、羨ましかったり、なんとも言えない劣等感みたいなのを感じる時がありました。自分は楽器を持っていないことで、音楽の楽しみの一部を経験していないような気持ちになっていたのかもしれません。

初めてちゃんとしたボイストレーニングを受けたのが21歳の時でした。
(ちゃんとした、とか言って失礼。それまでに何度かレッスンを受けて、疑問を抱くことがあったので、私の体験上、ポジティブな意味と効果があった、という意味です。)
その最初のレッスンで息の使い方を教えていただいた時、自分の声と歌っている感覚が一気に良い方向へと変化し、感じたことのない快感を味わった瞬間を今でも鮮明に憶えています。アハ体験でした。

声を出す=声を出す
でしかなかった当時、望む音を出すためにどう身体を扱い使うか…という感覚はとても新しい感触でした。
その頃から、私の楽器は肉体なんだ…と少しずつ考えるようになっていったような気がしています。

私の『身体』が楽器
私の『意識』が奏者

今はそんなふうに捉えています。楽器と奏者が合体しているのがヴォーカリスト。しかも、世界に一つしかない楽器を持っているんだ、と思うとワクワクします。
『自分の声が嫌い』、という思いを聞くこともよくありますが、その楽器を扱えるのはその人だけ。ならばまずは好きな声を見つけるために、その楽器がどんな音を出せるのか、その可能性を広げる実験をしてみてはどうかしら?と感じています。

さらにワクワクするのは、声が生まれる過程を考えた時に、
●声帯を伸び縮みさせて音程をつくる…これは弦楽器!
●息を送って音をつくる….これって管楽器!
●舌や唇を合わせたり弾かせたりしてリズムをつくる…これは打楽器!

こんな素敵な楽器を持っているのだから、うまく使えるようになりたい…
今もこれからもずっとそう切望し続けるんだと思います。

次回からはこの楽器の『取説』をちょっとずつ書いていきたいと思います。



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