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依存者が依存心を抱きつづけることで回復する理由

※断酒4年の知見を一読してからこの記事を読むと、より一層理解が深まると思うので参考文献として出典しています。

昨年末に投稿した断酒4年の知見という記事の文末で、他者への依存心は自分の依存心を脱却させるのか。という問いが生まれ、今回はこの問いについて答え合わせをしたいと思います。
結論はタイトルにある通り、依存者は依存心を抱きつづけることで回復するという答えに帰結しました。どうしてこの結論に至ったのか。結論に至るまでの過程をこれからお話しします。

そもそも依存心というのは人間であれば誰でももっています。そういう人間の特性です。ということは誰でも依存症に陥るリスクがあり、依存症の人が何か特別な人間ではないということでもあります。
依存症にはアルコールやニコチン、その他薬物などに関連する物質依存とギャンブル、性的行為等の行動や習慣に関連する※1移行的依存(行為依存)がありますが、依存症の根源は物質や行為、移行自体ではなく、依存心つまり精神の働きによる病理というのが僕の解釈です。

※1「移行的依存」とは、ある状態から別の状態へと移るために○○をする(興奮、快楽、恍惚感を得るため、自傷行為により特別な感情を得るためなど)

もう少しわかりやすくすると、アルコールに依存している(酒自体に依存している)わけではなく、アルコールに依存してしまう精神に依存しているということです。ということは、依存症の人はアルコールにも依存するし、タバコ、その他薬物、ギャンブル、性行為、その他さまざまなモノやコトに依存する人ということになります。以上の僕の考え方を基に、他者への依存心は自分の依存心を脱却させるのかという問いを考えていきます。

アルコール依存者が他者に依存するということは物質依存ではなく、行為、移行的依存にあたります。現に僕は4年間断酒継続することはできたが、無自覚で再飲酒を避けるための行為をしていた。それは他者へ向けての発信活動である。その行為は他のアルコール依存者に自分の知見を共有する(しようとする)ことで、自分が依存者であるという自覚を強固にし、その自覚は最大の防衛となった。精神が自分を守るために他者を助けようとする働きをしたとき、依存心が満たされる場合があり、この精神作用が移行的依存にあたる。依存心を満たすために繰り返し行うのは、すなわち他者に依存している状態ということ。自分ではない誰かのためにと思って行った行為が実は自分のためであって、無自覚であろうとその行為は依存心の渇望の現れだった。依存心が渇望する状態というのは、何かが満たされていないということであり、その埋め合わせを他者からの反応(SNSの「いいね」などのアクティビティ) に求めていた。つまり僕は、アルコール中毒からの脱却はできていたが、依存心からの脱却はできていなかったのだ。このことを気づかせてくれたのがAA創設者ビル・ウィルソンの逸話である。

依存者同士の発信活動や交流はお互いに何かしらの利益があり、回復の向上にもつながる好循環を生み出す素晴らしい活動で、この循環を上手く活用している団体がAAや断酒会だと思います。しかし同時に、他者への依存心が新たに生まれる可能性を含んでいるということに留意しなくてはいけません。物質依存から離れるための活動をした結果、依存心が移行的依存に移行した。この依存先の移行はいいと思います。先述しましたが、依存心自体は人間の特性なので無くなることはありません。なので他の有害なモノやコトに依存するよりはいいのです。一般的に依存者にとって依存心は害悪とみなされていますが、僕の見解は少し違います。依存者が抱く依存心は武器であり、最大の防衛となる。この答えがすなわち、依存者は依存心を抱きつづけることで回復するということになります。何度も言いますが、依存心というのは人間の精神から無くなることはありません。依存者は健常者に比べ依存心の渇望が強く、常に何か物足りなさを感じながら生きていると思います。この強烈な依存心を有害なモノやコトに費やすのではなく、有益なモノやコトに利用することによって精神の好循環が生み出されるのではないだろうか。

大切なことは依存心の特性を理解すること。依存心は武器であり手段です。悪用すれば他者にも自分にも害を与え、善用すれば他者にも自分にも利益を生む。依存者が願うことは、依存心から解放されることだろう。しかし残念ながら、依存心自体から解放され脱却することはできない。なぜなら依存心は決して無くならないから。しかし、希望はある。この事実を理解できたことで、依存心という囚われから脱却できたのかもしれないのだから。

それではまた

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