テキストに対する愛着が、僕をnoteに向かわせる
Saori_shirokumaさんのこの記事を読んだ。
僕も何度かこの〈#はじめてのインターネット〉で書こうと思ったが、ありきたりのものになりそうで書かずにいた。
しかしSaoriさんの記事に妙に納得し、書きたくなった。
***
インターネットが世を覆いつくす前、パソコン通信なるものがあった。
僕がはまっていたのは思春期の頃だ。
電話回線を介してログインし、掲示板を読み書きするのがメイン。
インターネットと違い、契約した事業者のサービスしか利用できず、外の掲示板を見ることも、外の人にメールを送ることもできなかった。
閉じた空間に入って、その中だけで楽しむイメージ。
サービスはもちろんすべてテキストで、画や音はおろか色さえもなかった。
大学で電気工学科に進み、人工知能の研究室に配属となった。
ある日、修士の先輩がおもしろいものを見せてやるという。
カタカタ…とキーボードを操作する先輩。
画面に5cm四方の白い四角が浮かんだ。
その後ボンヤリと色がついて、次第に明瞭になり、時間をかけて豪華絢爛な打ち掛けの写真になった。
ん? 写真はきれいだが、いつもより表示が遅い。
――え? これのどこがおもしろいんですか?
「高知大学に繋いでるん」
脳天にくさびを打ち込まれたような衝撃が走った。
京都にいながら、高知大学の持つ写真を見ることができるとは!
それが僕のはじめてのインターネットだ。
今でこそあたりまえのことだけど。
インターネットの商用利用解禁前だから、SNSも企業ページもない。
まだ研究者しか使えなかったから、接続コストは大学負担。
テキストだけのパソコン通信に対し、僕にとってインターネットとは繋ぎ放題で、画像を見るためのものだった。
しかし、その後家庭に普及したインターネットはそうはいかない。
高額な電話回線で繋ぐしかなかったからだ。
Saoriさんの記事にもこうある。
まさに、僕にとってのパソコン通信がそうだ。
Saoriさんは思春期のインターネットに、僕は思春期のパソコン通信に思いを馳せる。
Saoriさんは続ける。
きっとそうだ。
テキストに対する愛着が、Saoriさんを、僕を、noteに向かわせるのだろう。
Saoriさんの記事を読んで、そう確信した。
(2022/10/10記)
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