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世界を文理に二分することがナンセンスなのだ

僕は完全な文系人間だ。
小学生の頃から国語や社会が得意、算数や理科は苦手だった。
就職も出版社で日本史書籍編集部だったから、昔の僕を知る人はすんなりその道に進んだと思うに違いないが、実はそうでもない。

高2になると、文理の選択がある。
誰がどう見ても僕には文系しかなかったが、理系を選択する。
その理由は、戦争に行きたくないというものだった。
学徒動員がかかったら、戦場に駆り出されるのは文系からだ。
ただそれだけの理由で理系を選んだ。
物理なんて、常に30点くらいしか取れなかったのに。

一つ自慢できる話がある。
高3の物理の時間、教卓のすぐ前の席で僕は1時間突っ伏して寝ていた。
授業が終わると同時に教師は体をプルプル震わせて激昂した。
「こんな失礼なことがあるか! どういうつもりや!」
「いや、つまらんからに決まってるやろ」
1か月後、県が実施する記述式模試で、僕は物理で満点を取った。
もちろん、教師に啖呵切った以上30点のままではいけないと勉強はした。
「この模試で物理の満点は、県下全域で5年ぶりだそうです」
後の授業で教師はそう言い、以後僕は物理の時間は何をしてもよくなった。

世界史の授業で教科書の人物を模写し続け、褒められた話とどこか似る。
がんばれば報われる、ということだろうか。

こうして場当たり的な選択と対処で、のらりくらりと理系をやっていた。
日本文化を伝えることにも興味があったから、やはり文系に進んで日本語教師を目指すべきだったかとまだ逡巡していたくらい。

そんなある日、たまたま見たテレビで、ある先生の存在を知る。
京都大学工学部の長尾眞先生だ。
自然言語処理、すなわちコンピューターで人間の言語を処理する研究の第一人者、世界的な権威だった。

中学生の頃から持っていた、人間がどのようにして言語を獲得するのかという関心、趣味で小5から続けていたプログラミングが脳内でスパークした。
これだ! 自分が目指すべきはここだ!
その日から目標をもって理系と向き合った。
大学に受かってもその研究室に入れるとは限らない、狭き門だった。

結果として僕は京都大学に入り、長尾先生の下で学ぶことができた。
そこで学んだ考察などを記事にしたのがこれだ。

卒業してほどなく先生は、京都大学の総長、国会図書館の館長を歴任されて雲上人になったから、直接教われるギリギリ最後のタイミングだった。
戦争に行きたくないなどとふざけた理由で理系を選んだが、あの時そんな決断をしていなければ、長尾先生との出会いもまたなかった。

編集プロダクションでバイトをしていた時、君を見ていたら文系、理系を分ける意味が分からへんなぁと言われたが、それ以上に嬉しい言葉はない。
世界を文理に二分することがナンセンスなのだと僕は思う。

電気工学科だったから卒業生120名のほとんどが大学院に進み、就職はわずか5名、それも電機メーカーや鉄道会社など。
僕一人が文系就職をすると宣言した時、長尾先生は苦笑された。
いや長尾研自体、文学部と共同研究するなど、工学部の中で異端だったから、先生はそんな変わり者が現れたことを案外喜んでいたのかもしれない。

その長尾先生が今年5月に逝去された。
誰もが使うGoogle検索も自動翻訳も先生がおられなければ実現していない。
世界に残した功績の大きさは筆舌に尽くしがたい。
衷心よりご冥福をお祈りする。

(2021/7/11記)

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