「なぁなぁ、知っとぉ?」はまだまだ続く
僕は小さい頃から、かなりの教えたがりだった。
まぁ程度の差こそあれ、小さい子はだいたいは教えたがりだけど。
「なぁなぁ、知っとぉ?(ねぇねぇ、知ってる?)」と、自分が先に知ったことを人に教えたがる。
でもそのうち、たいていのことは多くの人が既に知っていることを知る。
自分の知識の範囲が狭いうちは、いくら自分が「へぇ!」と思ったところで、まだまだそれは他の人にとっては知識の範囲内なのだ。
なんや、知ってるんか…のガッカリをなくすには、自分の知識を広げ、他人が気にも留めないことに目を向けることが大切だと身に沁みた。
***
大学3回生で僕はひょんなことから編集のバイトを始める。
趣味のレタリングが仕事になったらと思い、何を勘違いしたか編集プロダクションに連絡を取って面接を受けた。
そんな仕事はないなぁ、とプロダクションの主宰者は残念そうな表情を見せたが、なぜか僕は採用になった。
この出会いが僕の人生を大きく変えることになる。
僕はそこで本を作る喜びを知った。
「なぁなぁ、知っとぉ?」を仕事にできると知ってしまったのだ。
そして工学部卒というのに、百科事典と人文書の出版社に就職した。
僕が配属されたのは、日本史書籍の編集部。
編集者は、自分の関心に根ざしたアンテナを高く張り、ひねり出した企画に適任な著者に執筆を依頼する。
そして著者から上がってきた粗い原稿を磨き、一冊に仕上げるのが仕事だ。
自分の中、著者の中にくすぶる思いがスパークし、新たな価値を生み出す。
張ったアンテナが独自のものであればあるほど、生み出した価値は「なぁなぁ、知っとぉ?」に値するものとなる。
***
僕はその後、いろいろあって出版社を離れる。
次の職場に選んだのは、愛媛の山中の村おこしだ。
どんな地域にも固有の価値があるのに、地元の目にはそれはあまりにあたりまえで、見落とされてしまうことが多い。
村おこしとは、それを拾い、磨いてその地の宝として発信し、得た評価の高まりを地域に還元することで地域が自信を取り戻す一助とする取組だ。
僕が移住した地では無農薬茶がその地固有の価値だった。
「なぁなぁ、知っとぉ?」――地道にその価値を発信し続け、それは全国的に高い評価を得るところとなる。
その地の商品は全国各地にファンを生み、また多くの人が全国からその地に足を運ぶようになった。
僕は使命を終えて20年の山暮らしを終えたが、今でもその賑わいは続き、地域住民はそれまでの自分たちの歩みに自信を持てたように見える。
***
いろんな人から「よくこんな畑違いの仕事に飛び込んだね」と言われたが、僕にとっては、出版も村おこしも根っこは同じ「宝探し」。
ある日気づいたら活動の場が転じていたという感覚なのだ。
人はそれを、天職というのだろう。
これまで長らく、小学生から大学生までのキャリア形成にも関わってきた。
僕の関心は対象が地域であれ、商品であれ、人物であれ変わらない。
自分には何もないとかぶりを振る学生の、内面にある価値を呼び覚ます。
みんなキラキラの価値にあふれているのに、もったいないよ。
そこにある本質。
時としてそれは、キャッチーでビビッドな表層に覆われ、またプライドや虚栄が邪魔をして埋もれ、見えなくなる。
「埋もれた原石を見つけ、磨いて宝石となすこと」
やはりそれは僕にとって最大の、そして一貫する人生のテーマだ。
「なぁなぁ、知っとぉ?」はまだまだ続く。
(2022/10/29記)
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