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TOKYO・ロス

一昨日、セーヌに架かる橋の上を歩いていたら、突然コンシェルジュリー*が美しい夕焼けに包まれているのを見た。それからその空は私の視線をどんどんと遠くへ誘導して行き、こんなに乾いた街、パリ全体が波止場であるかのように、夕日の沈む地平線が見えたのだ。
それが現実なのか、夢であるのかは少しも問題ではなかった。大切なのは、そのとき燃えるような地平線が見えたということだ。天国のように、蜃気楼のように、そしてなによりも故郷のように。

わたしが「故郷」と聞いたときに思い浮かぶ場所はいくつかあって、そのひとつは高校生くらいまで住んでいた東京都調布市にある深大寺というお寺のそばだ。
私はこの場所で最も多感な時代を過ごし、今の自分の核を形成することに繋がる忘れられない数々の出会いと学びを経験した。
そして他にもウィーンとミラノという、思い出すだけでも懐かしさで胸が締め付けられるような故郷がある。でも、どうしたことだろう。夕焼けを見ながら、私が泣きたくなるほど帰りたくなったのはやはり東京のあらゆる場所であり、私の子供時代の記憶の中だった。

パリの地平線に投影された思い出の数々は、マッチ売りの少女の幻覚にも匹敵するほどリアルだった。おばあちゃんの家に遊びに行くとよく連れて行ってもらった代々木上原の銭湯とそこへ続く急な坂道。毎年お正月に札幌から遊びに来た叔母さんに手を引かれて行った明治神宮。そして大晦日の夜に父と深大寺の境内で飲んだやさしい甘酒の味と、真夜中を過ぎても家の中に響いてくる参拝の人たちの足音だった。
夜中なのに外で多くの人たちと過ごす非日常的な大晦日の夜、半ば興奮状態で参拝から戻った私はベッドの中で朝まで途切れることのない人々の低いざわめきや、除夜の鐘の音に耳を澄ませながらいつしか眠りについた。

ポン・ヌフの上に佇む私の眼の前で、それらの映像はぐるぐると私の眼の前でロンド(輪舞)を踊り始め、私を何処にいるのかわからなくさせた。
するとふと、人生のどんな瞬間もいつの日か雪の結晶のように昇華し、私達の眼に涙を浮かばせることになるんだということに気が付いた。
つまり、どうでも良い瞬間なんて人生のはじめから存在しないんだということに。


*コンシェルジュリー=マリー・アントワネットが幽閉されていた牢獄。セーヌ川に面して建つ。


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