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なぜ、フィルム写真は懐かしいのか。


 何年か前に流行した「写ルンです」に添えられていたのは、エモいという言葉だった。意味は多岐に渡るエモいだが、今回は懐かしいという意味で使われていることにする。最初はレトロなデザインと今は日常的に使われてことはないフィルムがどこか懐かしさを誘うのかとざっくばらんに思っていたが、それでもないのかもしれない。
 まぁ、そんなことを考えついたので、とりあえず書きとめておくことにする。

写真を見るまでに時間がかかる

 フィルムはそもそも生産が少なく、日に日に値段が上がっており、1本700円~800円。また、現像するのにもそこそこお金がかかるので、安いとこで仕上げても1本1000円はかかる。総額安くても1700円くらいだ。だいたい基本的な35mmフィルムで24枚撮り、36枚撮りで1枚大体50~70円くらいかかることになる。それだけでなく、ピントがズレていたり、光量が足りてなかったりと失敗作が撮れることも多々ある。そんな中で、iPhoneで写真を撮るように雑に何枚も撮るということはできないだろう。カメラを覗きこんでも、やっぱやめとことなったりと中々シャッターをきらない。気合いを入れない限り、意外と24枚でも撮りきるまでに時間がかかるのだ。ここに懐かしいを感じるポイントがある。単純に撮った日から実際の写真を見るまでに撮った風景を忘れて思い出になっているからだ。時間経過によって「そういえば、こんな写真撮ったな。懐かしい」となりやすいといえる。


画質の粗さ=懐かしい

 今は4Kといった毛穴まで見えるような高画質は溢れており、知らぬうちその綺麗さに我々はいつの間に慣れている。そのため、昔の画質の荒いテレビの再放送や昔のゲーム画面をみたときに、ストーリーや表現などの内容ではなく、まず最初に画質の荒さに対して古さを感じ、懐かしくなる。これはフィルム写真にも言うことができる。今はiPhoneしかり、デジカメしかり、昔のカメラからは比べものもならないほど画質が良く、その一瞬がそのまま写るようになっている。これに対し、フィルムカメラはスキャンしデジタルデータにして、ズームしてみると画質が荒いことがよく分かるだろう。この画質の荒さが古さを感じさせ、同時に懐かしさを抱かせる要因になっているだろう。

[ズーム前]

[ズーム後]

写真と記憶の共通点

 フィルム写真はデジタルに比べて、情報量が少ない。デジタル写真ではF値をどれだけ絞りにもよるが、被写体の後ろにいた人がなんの本を持っているかまで明確に写すことができる。例えば、撮った瞬間に遠くに人がいたかいなかったか、それはどんな服装だったかなんて覚えている人いないだろう。それは人間が見ていて知覚していたとしても、認知までいかない情報まで明確に残していることになる。まして、時間が経ってからその写真をみたとしたら尚更だ。これにフィルム写真は細かい部分に関しては潰れてしまうので、この点からある程度情報が抜け落ちると言える。特に「写ルンです」などのトイカメラに近い部類に関しては、暗所での写真にこの特徴が顕著に現れている。この情報量の少なさが、人間が撮影当時に認知していた。または、現像した写真をみたときに思い出せる情報量と近いと考えられる。だからこそ、写真と記憶の共通項がより強くリンクすることによって、懐かしさを感じるのではないだろうか。 

[暗所での撮影例]

最後に

 各項目に共通することは、情報量の減退や欠落である。友達と思い出話をするとき、「あれそうだっけ?」「そういえばそんなこともあったような……。」となることもよくある。人間が知覚し、認知し、思い出せる記憶の情報量は、思っているよりも少ない。それは、人間が思い出せないような圧倒的な情報量を持つデジタル写真によりも、フィルム写真がもつ情報量のほうが人間の記憶や思い出に近いと言えるということだ。だからこそ、人の頭に思い浮かぶ映像に近いフィルム写真は、より懐かしさを感じるのではないだろうか。

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