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来春の桜は

大学に行って、図書館の雑誌コーナーにて今月の『TRIPPER』を見つけ読んだ。今月のメインは「2020の小説たち」で、国内作家が短編を寄稿されていた。中でも松井玲奈さんの「家族写真」を読んで目頭が熱くなり、近くにあったパソコンを開き感想を書こうと今に至る。

松井玲奈さんの作品を読むのは今回二作目。以前はSKE48として活躍されていたが、近頃は文芸の面での活躍も多い。処女作の『カモフラージュ』も独特な世界観や生々しい雰囲気を纏っていて、もっと彼女の作品を嗜みたいと切に思ったことを覚えている。

「家族写真」は俗に言う「鍵っ子」の女の子、アイが主人公。父は単身赴任、母は仕事で夜遅い帰宅。アイは両親を困らせたくないと思いつつ、まだ11歳で本当は甘えたい、そんな相反する気持ちを抱く。

「いい子だから、お家で待てるわよね」
「アイはしっかりしてるから」
「他の子よりずっと大人だから助かるわ」
時折お母さんがわたしに投げかける言葉は、そのままの意味ではなくて娘にそうあって欲しい願望なんだろうなと思っていた。いい子で待っててね、しっかりしてね、大人になってね。四年生だったわたしなりに頑張ってお母さんを困らせないようにしていたけれど、わたしがいい子にするほど、お母さんの帰ってくる時間は遅くなり、一人ぼっちの時間が増えていった。
(中略)
わたしは十一歳でまだ子供なのに。どうしてお母さんたちも先生も、大人になることを求めてくるのだろうか。

エリサという真逆の家庭環境の友人と会って家族の話をしたあとのアイはいつも、自らの家庭を振り返り孤独を知る。まだ11歳で、まだ子供で、どうして大人っぽくなければならないのかと葛藤するアイ。一刻も早く大人になりたいと願い、そう思うことに何の疑問を抱かなかった私は、両親や祖父母にわがままを言わずに育った。わがままを言わない、迷惑を掛けない、その分友人との諍いが増えていった。

アイはエリサに、アイが願っていること―毎年春に撮っていた家族写真をまた撮ること―は何のわがままでもない、我慢しすぎだと気付かされる。アイはその夜、母の帰りを待ち、それを伝える。その後の二人の描写が好きで、同時に苦しくなった。なぜこれに早く気づけなかったのだろうと苦しくなった。

「毎日寂しい?」
わたしは正直に肯いた。じんわりと涙が滲んで、それを悟られないようにしたけれど、ポロポロと溢れ出してきた滴はお母さんのシャツの胸の部分に吸い込まれるように染み込んでいく。
「ごめんね。アイはまだ十一歳だもんね」
首を横に振ると、我慢しなくていいのよ、とわたしの気持ちが伝わったかのように、優しい声が降ってきた。

こうしてアイは子供心を満たすことができ、同時にまた一段と大人になった。両親からの愛情やその欠乏ゆえの寂しさは、早めに克服すべきだと、今になって思う。しかし気づけただけでも一歩前進だ。そう信じてまた一歩歩んでいきたい。

最初と最後の桜を用いた表現が素敵だった。両親との関係や寂しさに悩んでいた序盤、アイは桜を見てこう語る。

桜は地面に落ちてしまえば踏み荒らされてこんなにも無残な姿になるのに、どうしてみんなはそのことに気がつかないで綺麗だと騒ぐのだろうか。

しかし桜並木の下で母と写真撮影をした最後に、こう解釈をする。

みんなが思わず顔をあげて、綺麗だねと言いたくなる気持ちが今は素直にわかる。わたしも昔はそうだったのに、卑屈になって俯いてばかりいたから、この景色に気がつけなかったのか。

この序盤と終盤での桜への捉え方の違いからも、アイの中で蟠りが消化されたことが伝わった。散る桜を見て儚さと寂しさを覚える私も、桜をただ綺麗だと言う世間に対し疑問を覚えていたので、この表現は素敵に思えた。来春の桜は、学生生活最後の桜で、同時にこれから長く続く社会人生活開始を彩る桜となる。それを何の蟠りを抱えることなく見ることが、今の最たる願いだ。


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