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障害者の「害」を「がい」に変えたところでイノベーションは起きない

1.不毛な議論

発達障害者の一人として、

「障害者」という言葉の「害」という感じは使うべきなのか?と聞かれたのですが、

僕個人として、

別にどうでもいい

と思うのです。

確かに、人によっては不快に感じる方がいらっしゃるそうですが

気にしたところで世界は変わらないというのが事実です。

僕はあえて障害者と表記しているのには理由があって

もし目が見えない方が音声変換アプリで、僕の記事や文章を読んだ時

「障がい者」だと

「あたりがいもの」と認識されるのです。

そうなると、何を言っているのかがわからないですし、

音声認識アプリだと、巻き戻して再生をしなければならないという

「手間」が発生してしまいます。

僕自身はアスペルガーなんですけど、特に気にしたことはないですし、

それが何?

てかマジお前誰?

って感じです。

多くの場合、騒いでいるのは健常者なんですが、

そんな議論している暇があるなら、もっと大切なことに時間を割いた方がいいのではないでしょうか。

大切なのは、言葉がどうのこうのではなく、

対等に社会活動が営めるかどうかという点だと考えます。

「がい」に変えたところでも、僕を含めた障害者の皆さんにメリットはないですし、

イノベーションは起きないと思います。。。

問題が発生するのは、システムが原因だったりします。

この例でいくと、

障害者の「害」=社会の害

に囚われてしまうという意見らしいのですが、

個人的に障害の有無問わずに害になるやつは、勝手に害を与えると思うので

別に障害者が害であるという発想は幼稚だなと思います。

2.障害者がイノベーションを起こすためには、自己肯定感が必要

障害当事者、特に発達障害者がコミュニティーにイノベーションを起こすためには、

自己肯定感が必要だと思うのです。

社会的なレッテルでは、障害があることはネガティブに捉えられるのは事実です。

会社に就職した後、うまく適応できずに会社をやめてしまい

精神科や心療内科で発達障害と診断されるケースが多くあります。

その後、自身に障害があることが受け止められないというパターンを聞くので、

本人にとってストレスとなる可能性があります。

制度的には障害者手帳がもらえたり、色々優遇されるのですが

本人にとっては健常者であることにこだわり続ける。

しかし、障害があってもなくても個人は個人であると考えるので、

自分が障害者=ネガティブな存在

と、とらえる必要性はないと思います。

しかし、健常者(と表現しますが)でさえも、自己肯定感を高めるのは難しいと考えます。

では逆に障害があるからこそ、他者との差別化を測れるのでは?

発達障害人は自己分析をおこないます。

自身の何が苦手なのか?

得意な分野は何か?

ストレスはいつ感じるのか?

などなど。

逆に健常者の場合、自己分析を行うのは就職活動くらいしか、

自己分析をガチで行う機会ってないんですよ。

就活終わって仕事に就けば、自己分析よりも仕事やキャリアに関する研究がメインになってきます。

さて、発達障害人や身体障害者が社会にイノべーションを起こすのにはどうしたら良いのでしょうか?

3情報発信力を磨く

この社会において情報の持つ力は、非常に大きいです。

オンラインサロンやセミナーがなぜ人気が高いのかと言いますと、

新しい情報・知識を多く持つことが発信者として強力だからです。

例えば、ひろゆきさんは生放送で質問にバンバン答えていく動画が人気です。

切り抜き集の再生回数もあって、総合してHIKAKINさんよりも多く鑑賞されているそうです。

なぜ彼がそこまで支持されているかと言いますと、

圧倒的な知識の数

があるからです。

発信者は常にInput(インプット)とOutput(アウトプット)を意識するといいと言われています。

オンライン上で発信する(=アウトプットする)ということは、たくさんのインプットがあってこそです。

発達障害に関する講演会やインタビューをする際、

発達障害についての情報が少なくて、どれが正解かわからないと聞きます。

確かに、ASDやADHDに関する書籍やホームページは医師であったり教授が監修している者が多いです。

専門用語や医学、学術的なエビデンスをもとに書いてあるので、素人では理解するのに時間がかかるでしょう。

しかし現代では、SNS等で障害のある方も簡単に発信可能な社会になりました。

障害者と健常者が簡単に繋がれる世の中になったことは、

相手にも正しい情報を提供できるチャンスでもあります。

4.結論

どんなに頑張ったとしても、肉体的・社会的に弱い(と考えられている)立場の人間が、普通と呼ばれる人と対等な社会になるのは遠い未来の話だと思います。

技術特異点が発生し、人工臓器、高性能義手が開発され、不死身のサイボーグにでもならない限り、障害者の立場はまだ変わらないでしょう。

もちろん、ホーキング博士のように超「天才」頭脳を持っていたら、話はまた変わってくるのでしょうが・・・

そもそも、健常者と障害者では「見ている世界」「感じている世界」が別であると思います。

当たり前が当たり前でない。

そこまでの考えをする人は少数派で、他はのほほんと生活をしています。

逆に、不便な思いをしているからこそ新しい発見があり、新しい技術や制度が発明されるかもしれません。

些細なことでもきっかけを作ることが大切なのです。

障害の「害」はあくまでも文体です。



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