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SDGsに関する新しい拙作

1 挨拶

 皆さん今晩は。
 本日、SDGsに関する新しい拙作の構想・概要を一旦完成させましたので、以下の通り、ご紹介させて頂きます。
 なお、今現在、ベトナムのハノイで執筆中であり、Wordソフトに日本語版が無いため、使用できないフォントがあり、その為、表紙は未修正のものとなっております。後ほどに修正したものを再投稿します。
 それでは、宜しくお願い申し上げます。

2 拙作『仁慈 SGDs苦言集』

2.1 表紙(未修正版)

2.2 扉

2.3 目次

2.4 解題

 「SDGs」(持続可能な開発目標)…「持続可能な開発のための2030アジェンダ」の中核である、この国際目標を達成する予定の年である2030年までの年月は、遂に7年未満となったが、思うに、達成する可能性は、ほぼ不可能であろう。そしてその根本的な理由は、決して、設けられた期限の短さ、2019年の新型コロナウイルス感染症の世界的流行、2022年のロシアのウクライナ侵攻等ではない。その達成が不可能である根本的な理由は、そもそも掲げている目標自体が至極当然な程までに非現実的であるからである。この事は、既に以前の「MDGs」(ミレニアム開発目標)の未達成という前例からも、極めて容易に先見できることであり、そして、私達のそれぞれの国情に私達自身の社会生活や私生活に人間関係からも、より現実的に先見できることである。

 しかし、依然として、いや…ますますSDGsの宣伝が盛んになり続けている。ニュースや書籍に講演の内容、そして企業に省庁や地方自治体等の取り組み等をよく調べてみると、そのことがよく分かる。これは、果たして善いことや正しいことであろうか?それとも、実際は偽善なことや不正なことであろうか?

 『論語』(憲問 14:38)に「その人(孔子)は不可能である分かっていながら、なおも為そうとしている人かね?」とあるが、理想を追求し続けることを決行している自分は、前述の通り、そして、人々の良識と同様に、SDGsは実現不可能の17の目標であることは、最初に知った時から既に、自明の理の如く確りと深く理解していた。しかし、このような理想を掲げては、不断の奮励努力と挑戦的な創意工夫を以て、失敗という未来の現実を見据えつつも、理想の現実化に限りなく近づき続けることに、極めて意義と結実が有ると、誠に心の底から思っている。

 しかし、『論語』(顔淵 12:07)に「民信無くば立たず」とあるように、現実を確りと人々に正直に伝え示さなければ、それは虚偽であり、偽善であり、そして欺瞞(まん)でもあるのだ。こよなく愛する我が祖国ベトナムの悪しき民俗や政情に国風の一つに「大言壮語」や「自画自賛」等があり、逆にこよなく愛する我が第二の祖国の悪しき民俗や政情に国風の一つに「御都合主義」や「事勿(なか)れ主義」等がある。「とりあえずやってみよう!必ずや成功するよ!」等といったような「後は野となれ山となれ」の思考に態度や言動がよくあるベトナム人、「とりあえず現状を維持し続けようよ。その方が無難だろう?」等といったような「現在まだ検討中です」の思考に態度や言動がよくある日本人…どうしてこのような有様で、将来にて、我が祖国ベトナムが改善し、そして、我が祖国の日本が再興できようか?決して出来ない、決して!

 以上のような愛国と憂国の念を募らせたことから、2023年02月16日、ハノイにて、SDGsに関する拙作を著述することを決意し、そしてその翌日である本日の昼に、過去のニュース記事を読んだ自分は、SDGsに関する拙作の構想を完成させた。その記事の出典と一部は、以下の通りである。

 新型コロナウイルスの新規感染者数減少に伴う制限緩和も広がり、「ウィズコロナ」生活が本格化してきた。急激な社会の変化を経験し、自身の生活スタイルや行動を見直す人も増えている。コミュニティ「きっかけ」でも、持続可能な社会への関心が高まっている。「SDGs(持続可能な開発目標)」でもある地球環境の保護や、他者との支え合いなど社会のために役立ちたいといった投稿が目立った。「子やその先の世代に安心できる環境を残したい」「エコな生活をする」「自己中心的な考え方をなくす」「思いやりの心を持つ」・・・。

 以上の記事の文中にあった「思いやり」という言葉について、熟慮した。何の為に持続を可能にする開発を実現していくのか?17の目標の目的は何なのか?この自問に対しての自答は、以下の通りである。

 過去からの仁(きょうくん)から未来への慈(おもいやり)を創り出す為に、現在にて愛(ちょうせん)を積み重ね続けること。

 以上のことから、儒教から仁(きょうくん)を、仏教からの慈(おもいやり)を、キリスト教から愛(ちょうせん)を懐疑的かつ批判的に学ぶ為に、儒学者にして兵法学者であった「山鹿素行」、僧侶にして詩人・歌人・書家であった「良寛」、元ハンセン病患者にしてキリスト教徒・詩人であった「塔和子」、この三名の先哲達の御力を懐疑的・批判的・独創的に頂戴しながら、過去からの様々な「教訓」を引き出して「仁」を成して、未来への様々な「思い遣り」を確りと洗練に深化させて「慈」を創り出していく為に、現在にて、「挑戦」を行って「愛」を積み重ね続けていくことを、自分は志した。

 以上が、この拙作の著述の動機にして主題となる。

 誠というものは、自己を成して終わるだけではなく、事物を成す所以でもある。「自己を成す」、これが「仁」であり、「物を成す」、これが「知」であり、この二つは性の徳であり、そして外界と内界を合致させる道である。故に、時を経れば宜しく成る。またこれ故に、至誠は息(いき)が無くなっても、息(や)むことは無い。

 立っている間も、歩いている間も、あるいは、座っている間も、もしくは、臥(ふ)せている間も、眠気から離れている間は、この心定理得(マインドフルネス)に傾注していくこと。これを、「この世の聖哲の不動心」と言う。

 愛は忍耐強く、そして親切です。愛は高ぶりません。愛は、自身を誇示せず、自惚れず、自身を無作法にせず、自身の為に追求せず、容易く怒らず、邪悪を思わず、不義を喜ばないですが、真理を喜ぶのです。

 以上のことから、拙作の参考文献は、以下の通りとなる。

『山鹿素行全集』〈全3巻〉(広瀬 豊⦅編集⦆、春秋社、1940-1942)
『塔和子全詩集』〈全3巻〉(広瀬 豊⦅編集⦆、編集工房ノア、2004-2006)
『定本 良寛全集』〈全3巻〉(内山 知也・谷川 敏朗・松本 市壽⦅編集⦆、中央公論新社、2006)
『校注 良寛全句集』(谷川 敏朗⦅編集⦆、春秋社、2007)
『校注 良寛全歌集』(谷川 敏朗⦅編集⦆、春秋社、2007)
『校注 良寛全詩集』(谷川 敏朗⦅編集⦆、春秋社、2007)
拙作の表紙の出典:https://sozai-good.com/meishi/japanesestyle-m/80619

『山鹿素行全集』〈全15巻〉(広瀬 豊⦅編集⦆、岩波書店、1940-1942)

 また「本物の愛」は、言うまでもなく「誠実な利他」であると同時に、「健全な利己」でもあるのだ。故に、SDGsを、「利他心を誠実なものにする」つまり「他者を思い遣る」為には、「利己心の健全化」つまり「己自身を思い遣る」ことが必要不可欠にして重要不可欠である。そこで、ヨーロッパ史上初の女性職業作家にして傑出した詩人であった「クリスティーヌ・ド・ピザン」という先哲の御力を頂戴する為に、以下の書籍も参考文献として用いさせて頂いた。
『詩人クリスティーヌ・ド・ピザン』(クリスティーヌ・ド・ピザン⦅著⦆、沓掛 良彦、横山 安由美⦅編訳⦆、思潮社、2018)

 先哲や諸賢、研究者や出版社の方々の碩学(せきがく)や偉業、出版サービス「MyISBN」、そして誰よりも、自分の父に、心底から誠に深謝の念を示す。

3 結語

 明日は、父方の祖父の墓参りに行ってまいります。
 そして明後日に、詩作活動を本格的に再開します。

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