インギンブレイ

腰低いだけ症候群についての考察

お世話になります。てっぺいです。

みなさま、年の暮、ご多忙の日々をお過ごしのことと存じます。
本年も大変お世話になり感謝申し上げます。

丁寧な挨拶で文頭をはじめてみました。
気持ちは込もっていませんが、丁寧にすれば嫌な印象は与えないので無難です。

それにしても僕は、正直、人に対して慇懃無礼かもなという自覚があります。

いんぎん-ぶれい【慇懃無礼】
言葉や態度などが態度が丁寧すぎて、かえって嫌味で誠意が感じられず無礼である様。

誰かと話すときは誠実でいたいし、特に初対面やクライアントが相手の時は、出来る限り言葉遣いや態度に気を配る様にしています。

それ自体は、きっと悪いことではないはずですが、相手に気を遣いすぎた態度のせいで、相手からも気を遣われてしまい、要件のみを話すだけの味気ない会話になってしまうことが多々あります。

上っ面を取り繕うだけで本音で語れないので、信頼を得ることは出来ず、さした印象も残せないまませっかくの相互理解の機会を無駄にしている様な気がします。

なぜ僕が、そんな慇懃無礼な振る舞いを選択しているのかよくよく考えてみたところ、これは自己保身なのではと気付きました。

丁寧な態度でいれば、相手を怒らせることも嫌な気持ちにさせることもないし、毎回同じ様に接すれば良いので楽だし、一見するとキチンとした社会人という体裁も保てます。

しかし、これら全て、行為の目的が「自分の為」に終始していて、相手を気遣ったり慮ったりという視点がないのです。

自分の為にだけ振舞っているくせに、信頼と理解はして欲しいと願うなんて、甚だおこがましいです。

相手の為に丁寧な態度をするのは良いことだと思いますが、自分のために腰を低くしているだけだと、ノーミスですがノーポイントです。

いやノーポイントどころか、とりあえず下手に出て腰を低くしてれば向こうも満足だろうという考え方は、人を自分の尺度で決めつけて見下すという最低な発想なので、むしろマイナスです。


僕は口下手で、なんでもペラペラ話せるような人間ではないですが、せめて、出会った人たち一人一人の気持ちを理解できるように、本当の意味での誠意を持って接することができるように、心がけます。




と、ここまで書いてふと我に返りましたが、大袈裟に語ったこんなことは誰しも若いうちに克服してきた当たり前のことなんですかね。

コミュ障三十路の戯言でした。
なんかすみません。

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