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汚れちまった悲しみに

旅を長く続けていると、自分の心が旅擦れしていることに気がづく瞬間がある。

嘘をつかれるのは普通のことなんじゃないか(ウソをつくことへのハードルが低い)と思わされる国を経てヨーロッパに入り、駅の入り口で自分が乗る電車の時刻表を見ていると「どこに行くの?」と声をかけられ、答えると「◯番線だよ」と教えてもらったとき。 お礼を言いながら心の中で思わず「本当かよ!?」と反応した後、ホームに着いた電車を見て「本当だった。親切にしてもらったのに、なんで意味もなく疑っちゃったんだろう…」ってなったり

カトマンズのパシュパティナートでは旅人に話しかけ勝手に寺院内を案内した後ガイド料を請求してくる人が居ると聞いて警戒していたら、地元の青年に話しかけられ、つい発した私の言葉が「ガイドはいらないよ」になってしまった。 彼は「そんなつもりはないよ」とニコニコしていたけど、その後に「中国人?」と言われたので「 違う。」と少し強めの返事をしてしまったら、申し訳なさそうに「ごめん」って返事をされた時。 悪意のない人に対して最初から拒絶的で失礼な態度をとってしまったことに気づき情なくなったり

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メデジンの街中を歩いていて、あまり身なりの良くない飴売りおじさんが近づき話しかけてきて、怖いし何を言っているのかわからなかったから「(アメは)要らない」と答えたら。私のウエストポーチを指差したので、見るとポーチのチャックが全開になっていて注意してくれたんだと分かった時、善意で接してくれた相手を完全に悪者と思い反応してしまった自分が恥ずかしく申し訳なくなった。


世の中善意ばかりではない、と分かっているけど。

全ての人が悪ではないと言うのも分かっている。

自己責任と言う言葉はあまり好きじゃないけど、ひとりで旅をしていたら自分の身は自分で守らなくちゃならない。
それでも疑った目で世界を見ていたら出会う人達の優しさや美しさにも出会えない。

いつまでもピュアで新鮮な気持ちで旅したい。
旅人の多くが体験するであろう葛藤。そんな時、私は中原中也の詩を思い出す。

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