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「父の日」に、旧制高校学生寮のことを知る

家にある古い写真を見返していて、父の学生時代のアルバムを見つけました。

見つけたというか、きっと以前にも見ていて、その時は「へー」と思ったものの、それほどよく考えもしないまま片付けたのだと思います。

父は横浜出身ですが、旧制新潟高校に入って新潟で寮生活をしていました。
・・・ということを実は、今年の「父の日」の前日くらいに、ちゃんと認識しました。
高校(今の高校とは違います)が新潟だったのは知っていたけど、どういう所に住んでいたかということは気にもしていなかったんですね。

寮は六華寮(りっかりょう)といって大正時代から続き、場所を移転して建物が変わっても、その名は現在の新潟大学の六花寮へと受け継がれていることを知りました。

寮生なら必ず覚えなければならない寮歌があって、寮歌祭というものがあったり、ストームと呼ばれる「寮などで、大勢が歌を高唱するなどして騒々しく練り歩く」というバンカラ(死語ですか)な行事があったりしたそうです。
アルバムにも「ハダカストーム」と書いてある写真があって、上半身裸になって廊下にむらがっているのですが、ストームってなんだ?と思ったら、そういう恒例の行事ということがわかりました。

いろいろ検索して調べてみると、2019年6月に六花寮百年祭が行われ、100歳を超える元寮生の方も参加されたとあります。

せっかくなので、旧制高等学校のことを少しウィキペディアで調べてみました。

明治時代から昭和時代前期にかけての日本に存在した高等教育機関。存続時期のほとんどにおいて、帝国大学などの旧制大学学部への進学のための予備教育(現在の大学教養課程に相当)を男子のみに対して行った。

と、あります。
第一高等学校から第八高等学校までのナンバースクールの他に、山口、新潟、松本他、地名のついたネームスクールがありました。

「戦後の学制改革において学校教育法に基づく大学(新制大学)へ統合・継承される形で1950年に廃止」とありますが、
一高は現在の東大教養学部に、旧制新潟高校は新潟大学人文学部・理学部に、ほかの学校も現在の大学へと継承されたのですね。

伝統ある学校、寮ですから当然古い写真もたくさん残っていると思いますが、なかなか昔の学生の写真を見る機会もないと思うので、手元の写真を少しアップしてみようと思いました。
父(の遺影)に聞いてみたら、好きにしたらいい、と言っているような気がするので(笑)。

アルバムを見ているとつくづく、学生というのはいつの時代も変わらないなぁと思います。
ただひとつ、今と異なることは、この世代の人たちは学徒出陣しているということです。

ちなみに私は父の遅い子供(当時としては)でした。念のため(笑)。

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寮の正門。古い。こういう古い感じ、けっこう好きです。


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入寮コムパ。コムパ?っていうのか。瓶に入っているのはなんでしょう。お皿にのっているのは何かなあ。ダヴィンチの「最後の晩餐」のテーブルの上を見るように、じいーっと見てしまいました。

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寮祭ですね。

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東寮とか西寮とか北寮とか分かれていたようで、寮対抗で何かやっていたようです。

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女子がいないだけで、自分の大学時代となんら変わらない。
長生きであればもしかすると、ご存命の方もいらっしゃるかも?

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せっかくなので新潟の写真を。
新潟は昔スキーで越後湯沢に行っただけです。

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街の中。昔の文字って独特で、面白いんですよね。


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寮歌祭。
現役学生と卒業生で半世紀以上の隔たりがあっても、
同じ寮歌を歌えるのだそうです。
そういうのはいいなぁと思います。

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こちらは校舎ですね。


私は子供のころから父と話すのが苦手でした。
でも、いい大人になってからは、自分から変わっていくようにしました。
10年前、父がもう長くないとなった時には、後悔しないように自分のできることをしようと思いました。
そして亡くなって初めて、父がこれからも自分のなかにずっと存在するということを感じることができました。

それでもう終わったと思っていたのに、10年経って、父がガクランを着て下駄を履いている写真をアルバムで見て、どんな学生生活を送っていたのか想像し、その時代を身近に感じた時、初めて親しみを覚えることができました。
知ることによって、ヒーリングが起きたのです。

もっといろいろな話、学生時代のことを聞いてみたかった。
今ではそう思うけれど、若い時は思わなかったわけで、なかなかうまい具合にに物事は進まないことがあります。
でも、それはそれでいいのです。

折しも「父の日」。
好きだったシュークリームとコーヒーをお供えしました。

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