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No.0 海外詩の日本語訳、始めました。 

日本語訳を始めるまでのこと

20数年前から、私の手元に薄くて小さな詩集があります。
詩集にはパブロ・ネルーダ(Pablo Neruda)というチリの詩人の詩が10編、原語のスペイン語と、英語の対訳で載っています。
『イル・ポスティーノ(Il Postino 英題:The Postman)』というイタリアの映画を配給していたMiramaxという会社が、プロモーションのために作ったものです。私はその映画を映画館に観に行って、パンフレットを買わずにその詩集を買いました。後になって、別売りのCDがあり、名だたるハリウッドの俳優達が英語でそれらの詩を朗読したものが入っていることを知り、それも入手しました。

映画は、パブロ・ネルーダがイタリアに亡命していた史実をもとにしたフィクションです。無学な田舎の漁師の息子マリオが、ネルーダ専属の郵便配達夫になり、詩人との交流を機に言葉の力に目覚めていきます。

ある場面で、ネルーダが彼の”海へのオード”という詩をイタリア語でマリオに聞かせるのですが…その時、私もマリオと共に、言葉の波に揺られ、船酔いを起こしました。
海が言葉になっていました。
その場面が終わった直後にすぐさま、あのリズムを、あの言葉をまた聞きたい、と思いました。

映画はイタリア語で、もとのネルーダの詩はスペイン語、CDに入っているのは英語でしたが、私にはどうでもいいことでした。
CDの英語での朗読は、イタリア語やスペイン語の響きとはちょっと違うようだけれど、それはそれで完成された美しさでした。何度も聞き返しました。

イタリア語とスペイン語は非常に似通っているので、きっとこの詩集に載っているスペイン語の詩は、朗読されればあの”海へのオード”と同じように素晴らしいんだろうと思いつづけ、その後、イギリスやメキシコなどでしばらく暮らす機会がありましたが、どこへ行くにもその薄く小さな詩集を持って行っていました。そして、ある時知り合ったメキシコ人の親子がその10編の詩をスペイン語で朗読して、カセットテープ(!)に吹き込んでくれました。
原語の詩は、想像したよりも素晴らしいものでした。
英語の滑らかさとは違う、スペイン語独特の素朴さと率直さと力強さがありました。

この間、これらの詩を日本語に訳そうと思ったことは全くと言っていいほどありませんでした。そもそも私が英語やスペイン語の学習を続けてきた理由が「海外の小説や詩の日本語訳が不自然に思えてしまうので、原語で読みたい」という、傲慢な動機からでした。「原語で読まないと、その文章の本当の良さはわからない」と信じ込んでいました。
日本語と他の言語の根本的な違いと、翻訳の難しさは、英語やスペイン語の学習過程で痛いほど知っていました。
小説やエッセイでも難しいのに、ましてや詩なんて!ありえない!と。

その固定観念を変えてくれたのは、ある英語の詩でした。
その詩も、ある映画のなかで数行朗読されていたもので、あまりに好きなので、何度も英語で読み返していました。しかし、ネルーダの詩よりも抽象的な内容でしたので、どう解釈してよいのかわからない部分があり、読む度にその部分でモヤモヤとした気分になっていたのです。
また、大好きな詩でしたので、友達にも教えたかったのですが、英語で読んでね、というのはちょっと押しつけがましすぎるかなあ、とずっと躊躇していました。
日本語訳を捜しました。人気のある詩なので、たくさんの人が思い思いに訳していて、余計にわからなくなってしまいました。それに、私がその詩を英語で読んだ時の感動に近い感情を呼び覚ましてくれる日本語訳は、見つけられなかったのです。

そこで、ついにある日、自分で一番しっくりくる言葉を捜そうと思ったのです。
そのためには、最初から最後まで通して訳してみないと。
内容を訳すことと同時に、私にとって大切なのは、その詩の元の言語のリズムと音から感じられる雰囲気です。意味と同時に、それらが心を揺さぶるのです。それが少しも伝わらなければ、言葉の意味だけ翻訳しても意味がない。

そうして初めて訳したのが、記事No.1のエリザベス・ビショップの”One Art”です。
訳した後、どの程度の出来だか自分でもよくわからず、しばらく放置していました。数か月経った頃でしょうか、その詩のことを思い出し、英語で読んだ後、そういえば自分で訳したっけ?と、初めて読み返してみました。
そんなに悪くないかもね、と思いました。そして、勢いでネルーダの”La Poesía"(記事No.2)を訳し、2つを友人に見せました。

やはり、そんなには悪くなかったようで、ブログのようなもので公開していくことを勧められました。それで今、このNo.0の記事を書いています。

私の訳は、非常に個人的で主観的なもので、皆さんの気に入るかどうかはわかりません。また、語学もほぼ独学に近いので、とんでもない誤訳もあるかもしれません。しかし、なるべく自分が原語で読んで感じたままを日本語にしようとしているので、皆さんに「こんな感じの詩がありますよ」と、その存在と雰囲気くらいはお伝えできるのではないかと思っています。

皆さんに、今まで知らなかった詩の存在を知って、興味を持っていただけると嬉しい。さらには、元の言語の詩そのものを読んでみたいと思っていただければもっと嬉しい。
そして、万に一つでも、私の日本語訳を読み返したいと感じたり、誰かに教えたいと思ってくれたとしたら、そして実際にそうしてくれたら…これ以上の喜びはありません。

Keiko


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