フミオ劇場 9話『嵐の新婚生活』(義妹 純子の回想)
【少し時代は遡ります。フミオが堺から追い出される前、フミオの弟と結婚した京都のお嬢さん、純子の話です】
「三男坊さんぇ」
純子は母親から
責任の重い長男でなく、次男か三男へ嫁がせたい。由紀男さんは三男やし兄嫁さんも2人いてはるからアンタも心強いでしょう
そう諭され素直に安心した。
トントン拍子に話は進み、三度目に会ったとき
「すぐ上の兄貴がうちへ来てるいうから、紹介するわな」
純子は言われるがまま、堺市内にある立派な家に連れて行かれた。
結婚したら、この家が新居となる
ただし
両親が長男夫婦のとこへ越すまでの1年間だけは、義母と同居だと説明された。
ーーでもぉこれくらい広い家やったら、お義父さんお義母さんに、そない気い使うこともなさそうやし良かったぁ。
純子は無邪気に頷いた。
応接間に案内されると、ボサボサリーゼントで眉毛の無い、まるでヤクザ映画に出てくるみたいな人がいた。
お手伝いさんの他に、用心棒まで雇っているのかと思ったら、その人は由紀男のお兄さんだった。
フミオという名のお兄さんは、外見とは違って、よく喋る面白い人だった。
でも、ときどき得体の知れないヒヤっとしたが空気がかいま見えて、純子は何度か腕に鳥肌がたった。
ーーあれぇぇこの怖い感じ……ちょっと前にもあった気ぃがするんやけどぉ。
純子自身はそのときは、すっかり忘れていたが、それは見合いの席で由紀男の母である孝江に感じたものだった。
第一印象の小さな第六感は
たいてい正しい。
同居したら孝江はお手伝いさんを辞めさせた。嫁が来たから、人出が足りるという理由だった。
ーー家事はお手伝いさんがしてくれはるぅ言うてたのにぃなんや話が違うわぁ……
純子は思い描いてた新婚生活と違う現実にしょんぼりした。
ヤクザみたいな顔の義兄フミオは、歩いてすぐの父親経営の工場で由紀男と一緒に働いているため、お昼はふたり連れ立って家に食べに来る。
フミオの妻、義姉の三枝子も月に何度かは経理業務をする孝江を手伝いにやって来る。
その時は子供も一緒だ。
子供は好きだから気にならなかったが、毎回8人分の昼食やおやつの世話、後片付けは想像以上に重労働だった。
洗剤で手もあか切れる。初めて、そんな自分の荒れた手をみて、純子は睡眠時間を削ってでも毎晩一生懸命クリームを手に塗り込んだ。
新婚生活が、ちょぅどひと月を迎える日のことだった。その日、義父と夫の由紀男は用事で朝から出掛けていたが、三枝子が経理仕事で来ていたので、母の孝江とフミオ一家の昼食を準備した。
食べ終えると、ゆっくりお茶を飲む間も無く
いつものように流しの前に立って食器を洗う。
義姉の三枝子も、お茶をひと口すすっただけで孝江の仕事場でもある和室へ戻っていった。
ーー三枝子姉さんは算盤、私は家事……お嫁さんて、こないに忙しいて知らへんかったぁ
純子が小さなため息をついた時だ。
「何回言うたらわかるんや! お前は!」
リビングから、癇癪玉が破裂したような孝江の声が聞こえてきた。
純子はお茶碗を持ったまま飛び上がった。
恐々とドアを開けリビングを覗くと孝江が、さっき純子が運んだばかりの湯飲み茶碗をまさにフミオに投げつけるところだ。
熱々のお茶が飛び散る。純子は反射的にドアの影に隠れた。
ーーいやぁぁいやぁぁ、お義母さん、あんな怒らはって。ええどないしよう
純子がドアの陰でビクビクしていると今度は
「なんじゃあ? 文句ばっかり言うなや! ほっとけや!!」
フミオの野獣みたいな声が聞こえた。
親に向かって、こんな口の聞き方する人がいるのかと純子は心底仰天し
ーーお義父さんも由紀男さんもいてはらへんしぃ。うち、止めに入った方がええのやろかぁ
へっぴり腰のままリビングを覗いたら
「イャ〜!」
思わず悲鳴が出た。
フミオが電話器を孝江に投げつけたのだ。コードごと、黒い塊が宙を舞った。
間一髪、孝江はそれを避けた。
黒電話は後ろの食器棚に激しい音を立てて、ぶつかった。
純子は、この家に嫁に来たことを後悔した。
ーー私やってけへんこんなん怖ぃぃ
布巾を握りしめて半べそをかいていたら、廊下を走ってくるスリッパの音がした。
振り向くと、義姉の三枝子が箒とチリトリを持って立っていた。
「純子ちゃんは子供らをニ階に連れてって」
そう言うと三枝子は顔色ひとつ変えず、罵り合う親子の間をくぐり抜け、割れた食器を黙々と集めている。
純子はフミオの子たちを二階へ避難させながら、この家に嫁に来た事をいよいよ本気で
後悔した。
ーー三枝子姉さん、当たり前みたいに動いてはったわ……って事は、こういうのよくあるんやわぁぁきっと、いややわ勘弁してぇぇ
フミオは、大学時代から博打に狂っていまだに治らない。孝江は常に怒っている。そのためこの二人が顔を合わせると、必ず大なり小なり衝突が起きるのだった。
新しく嫁さん迎えて、ひと月ほどは気をつかっていた二人だが、いまは純子の前でも平気でひどい親子喧嘩を繰り広げる。
フミオが応接間の大きなガラス製灰皿を投げた時は、純子は心臓が止まりそうになった。
スローモーションのように半円を描く頑丈なガラスの物体。
純子は、手を合わせて神様に拝んだ。
急いで十字も切りイエス様にも祈った。
どうかお義母さんの頭にだけは当たりませんように。
気づけば嫁に来て半年。
人間の【慣れ】とは怖ろしいもので、いつの間にか純子も機敏に立ち回れる嫁に成長した。
合戦が始まれば、秒で出動できるよう今では流しの横に箒とチリトリを配備している。
そんな純子の苦労なんてからっきし、なあも分かってない兄のフミオは
「お、純子、ほれ見てみ。今日は宝くじ買うてきたんや。一等当たったらな、お前にも宝石こうたるからな! 何が欲しいか考えとけ」
ノー天気に話しかけてくる。
《いいえ お兄さん
私は欲しいモノはないのよ
ただ この家の中では
あばれないで帰って
あばれないで帰って》
数年後大流行する歌謡曲そっくりの歌詞が
純子の頭の中で
浮かんでは消えた。
つづく
【読んでくださってありがとうございました。1話からこちらです。お時間ある時に】
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