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フミオ劇場 2話『フミオは次男(母・孝江の回想)』

 【第2話は、フミオの母孝江の回想バージョンです】

孝江は4人の子を産んだ。邦男、フミオ、信子、由紀男。総じて大人しい普通の子。次男のフミオを除いて。

「孝江さんとこの次男、フミオ言うた?あの子はなに考えてるのか、よお分からん子やね」

「あんじょう育ててやらんとあかんよ」

 孝江は耳が痛かった。言われなくても分かっている。

 毎年夏休みに家族で行った和歌山の白良浜でも、フミオだけ「海はいらん。散歩する」と言ってはどこかへ駆けていく。
 日が暮れる頃、交番から宿に電話が入る。

 最初は半信半疑だったが、フミオは確信犯だ。歩き疲れたら「迷子やねん」と自己申告する。当てずっぽうに歩いても平気のへっちゃらなのだ。

ーー大きなったら、どうなってしまうんやろ。

 フミオが大人になる姿を想像するが、決まって心がざわついて不安になるだけだった。

 中学に入った夏休み。雨も降ってないのに毎日髪や服を濡らして帰ってくる。問い詰めたら、大仙にある仁徳天皇陵のお堀で泳いでるという。

「あかんやないの! そんなとこで泳いだら」

「大丈夫。見張りあんまおらんし。魚も釣れるんやで」

「なに言うてんのこの子は!」

 思わずフミオの頭を思い切り叩いた。

 高校のときは、近所の人を巻き込んでの騒動があった。ふたつ筋向こうの家のお婆さんが亡くなった日のことだ。

 朝に息を引き取ったと、エプロンで目頭を押さえる、その家の嫁さんを囲むように、近所の人たちがお悔やみを述べていた。

 すると通りかかったフミオが、おもむろに「朝ちゃうで」と口を挟んだのだ。

 昨日の夜10時頃、その家の軒下から火の玉があがるのを見たという。

「あれ婆さんの魂や、せやから死んだんは昨日の夜やで」
 藪から棒にそんな事を言いだした。

「違います。朝です!」
 やや食い気味の嫁さんが抗議する。

「違う! 婆さん死んだんは夜や」
 フミオが刑事みたいに断言する。

「罰当たりなこと言うな!」
「怖いわぁ。この子」

 取り乱す大人たち。

「私が嘘ついてる言うの、朝やよ!」

 甲走った声でフミオを睨むエプロン嫁。

「俺の言うてるんは事実や。軒下からフワフワ飛んでいった火の玉があったから。しゃあから死んだんは夜や言うてんねん!」

 兄の邦男が駆けつけ、フミオを輪から引きずり出して、なんとか騒動は収まった。

「婆さんほったらかしにしてて、ほんで朝に気付いただけやろ」

 婆さん死亡推定時刻に、どうしても納得いかないフミオだった。

 そして大学で【運命の人】ならぬ【運命の博打】と出会ってしまう。フミオは無我夢中で博打を始め、学校を2年で中退する。

 仕方なく、フミオの父が経営する鉄鋼所へ入れたが、博打に勢いがついただけだ。さらに給料という元手が増えるにつれて、付き合う人間の種類も変化した。

 関西には大きな組織があって、ここら近所にも極道ヤクザと呼ばれる人間が多くいた。

 フミオの交友関係を知ったのは、奇しくも孝江がきっかけだった。駐車場として貸していた土地の立ち退きトラブルで、孝江は獅子奮迅の勢いで組員と対時したのだ。最後には車のボンネットをハンドバックで数回打ち付けた。

 その日は無事だったが、相手が相手だけに従業員たちは報復を恐れ、フミオにこの話をした。フミオはそこなら知りあいだと言って、菓子折り持参でボンネットの件を詫びに行ったのだ。

「お前のオカンやったんか! 気ぃ強い女やのう」

 大笑いされて、一件落着となった。

 フミオの交友関係を知った孝江は、たいそう気を揉み、こうなったら早めに所帯を持たせて生活を変えさせようと考えた。

 何度目かの見合いで三枝子との結婚が決まった。子供が生まれると、フミオは子煩悩な一面を見せて、孝江を驚かせた。

 だが、すでに時遅し。フミオの片足はもう、博打にどっぷり嵌まっていた。

 フミオの長女の樹里が孝江に聞いてくる。

「パパはいまお婆ちゃんとこに泊ってるん?」

 フミオは現金の入った給料袋を手にするや否や、雀荘へ直行する。それから何日も帰らず賭け事を続け、給料袋が空っぽになると、ようやく帰宅するのだ。

 その都度、フミオの嫁の三枝子からSOSの電話が入る。

 怒りのあまり、フミオの顔に湯呑み茶碗を投げる孝江と開き直って壁を蹴るフミオ。性懲りも無く毎月、孝江を激昂させる。

 給料を持って帰らないのだから、普通ならフミオの家族は路頭に迷っているとこだ。だがフミオは親の会社ということに甘え切っていた。

 孝江は何度も追い出そうとしたが、

「樹里と和彦がご飯食べられへんようなったら可哀そうやろ」

 孫を案ずる夫が何とかしてやれと言う。

 孝江はしぶしぶ空になった封筒にまた現金を入れて、三枝子に渡してやる。

「ええ加減にせなあかんて、あんたからもちゃんと言いや!」

 嫁に文句を言っても仕方ないが、つい口調がきつくなる。

 孝江はギャンブルこそしないが、あんな成らず者を生んだのは、明らかに自分の血。暴れん坊の血統は自分側だと自覚している。

 昨日も夫に碁石をぶちまけた。

「大風呂敷のゲンとは付き合わんといてって、あれだけ言うてましたやろ!」

 大風呂敷のゲンというのは、人に怪しい儲け話をもちかけては、都合の悪くなると行方を眩まし、数日後ぬけぬけと現れる、厄介な男だ。

 一昨日、久しぶりに姿を見せたかと思うと

「天王寺で面白そうな囲碁の大会ありまっせ。行きまへんか」

 孝江が油断した隙に夫を連れ出した。

 明けて昼頃、申し訳無さそうに帰宅した夫へ碁石をぶち撒けた。ついでに碁盤も庭へ放り投げてやった。足つきの重たい碁盤は、庭のツツジをなぎ倒してどこかへ埋もれた。

 夫は黙ってひとつずつ丁寧に碁石を拾っていた。

 大きな深呼吸をしたら怒りが収まった。孝江の怒りは最初のピークさへ過ぎれば、案外早く鎮まる。だから家族や従業員は、まず時間を稼ぐ。皆が知る孝江対策だ。

 しかしフミオだけ、そうしない。

 猛り立っている最中の孝江に対して、火のついた導火線を投入するのだ。

 孝江にとって最大の敵、それはフミオ。

 孝江の次男だった。

                つづく


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