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フミオ劇場 4話『フミオ式・女の心得その一』

【1話から3話は、最後にリンクしてます】 

 昭和45年秋、気持ち良く晴れた日曜日。

 家族を乗せたフミオの白いセドリックが車庫を出て、浜寺公園へと出発した。浜寺公園というのは、堺の臨海地区に古くからある市民憩いの場だ。今日は、そこでピクニックをする。
 
 浜寺公園もピクニックも大好きなフミオは、早朝からご機嫌さんだった。

「おぃ、ほうれん草のおひたし作ったか?おにぎりとは一緒にすんなよ、あれ汁もれて飯まずなるんや。ちゃんとタッパーに別にせぇよ」

 子供より先に台所で弁当チェックをする。

「わかってます」

 妻の三枝子が面倒くさそうに返事をした。

 しばらくすると、泡まみれの顔にT字カミソリを当てながら、また台所へ来て、

「ほんで、おにぎりは俵やぞ。お前、この前テレビで見た言うて三角にしてたけど、あんな形あっけぇ。あれは江戸?ワシは俵」

 おにぎりの形にまで注文をつける。

「はいはい、わかってます」

「はいは一回でええ。イタッ!」 
 
 フミオは短気でせっかちだ。そのせいなのか、カミソリで髭を剃るたび、あちこちを切る。切ったとこへは1㎝四方にちぎったティッシュをひと舐めして、丁寧に張り付けていく。
 
 髭を剃ってる時間より、ティッシュ張りの方が断然長い。

 三枝子は、おかづを詰めながら、

ーーなんで毎日、血だらけなんやろ。もうちょっとゆっくり剃ればええだけやのに。

 昨日と同じことを思っていた。

 
「ママ〜麦茶いれた? 水筒どこー?」

 フミオの2人の子供たち、樹里と和彦も台所へ顔を覗かせる。2人とも嬉しそうだ。

 おだやかな、楽しい家族の休日の始まり
 
 の、はずだった。
 
 しかし自宅から10分ほど走って国道に入ったあたりで、事態は一転する。

 フミオが急ブレーキをかけたと同時に、

「なにさらしとんじゃ!」

 怒鳴り声をあげた。

 一旦停止せず、細い筋から飛び出してきた車と、ぶつかりそうになったのだ。    
 間一髪のとこで、事故にならなかったから、相手はそのまま走っていった。これが、いけなかった。
 
 「おおぃ! 待たんかい!」

 フミオはクラッチを乱暴に踏み込み、急激シフトアップでぐんぐん速度を上げ始めた。   

【キンコンキンコンキンコン】速度警告音と、
 
【ぶわぁーーーーーーーーー】クラクションと、

【ボケえええーーーーーーー】フミオの雄叫び。

 やかましぃだけの三重奏だ。
 
 通常はスピード狂でも乱暴運転でもないフミオだが、下手な運転でこちらへ接近し過ぎる車や、ちょっとしたルール違反車を目撃するや否や、捕まえて説教しないと気がすまない。

 場合によって、手や足が出る。
 
 助手席の三枝子は、フミオがやけに殺気立っているのに気づいて、

「ちょっと、こんなスピード、危ないわ」

 早めに注意したが、遅かった。
 
「うるさい!」

 すでに噴火スイッチオンの状態だった。
 
 フミオが追いついて並走し、ぶつかるようにして威嚇すると、ようやく相手が道端に車を寄せて停車した。  

 怒りモード真っ只中のフミオが、転がるように外へ出ていった。

 シーンとなった車内の3人には、キーンという耳鳴りだけが残った。
 
「パパは? パパどうしたん」

 まだ5歳の和彦が不安げに三枝子の腕を掴む。樹里は窓を少し下ろし、手をかけて、外を覗いた。
 
 一方。

 運転手は、露骨に嫌な顔をして、ひとり愚痴っていた。

「事故にもなってへんのに、ひつこい車や」

 だが、セドリックから降りてきた男を見た瞬間、止まったことを後悔した。
 
 ボサボサリーゼントで眉毛のない男が、あきらかに狂暴な匂いを撒き散らしながら、近づいてくる。

 案の定、いきなりドアを蹴ってきた。

「おのれ、はよ出てこんかぃこら! なにしとんねん!」
 
 窓に唾をいっぱい飛ばしてくる。
 
ーーヤクザやん、これ、絶対ヤクザやろ?

 運転手は固まった。
 
「出てこんのか! ほんなら窓や! 窓あけろ!」

 今度は拳で、窓をガンガン叩いてくる。
 
 運転手は覚悟を決めた。

ーーひとこと謝って、すぐ逃げよう。

 そして窓ハンドルに手を掛け、ゆっくり回しながら窓をおろし……

【バコッ】

 たら、わずかの隙間から男のパンチが飛んできた。
 
「逃げてどないすんじゃワレ! 交通ルールは守らんわ逃げるわて! 何を考えとんじゃ!」

【バコッ】

 
 フミオが次に運転手の首まで掴むのを見た三枝子は、
 
「あかんわっ」
 
 と、車から降りてフミオに駆け寄った。

「もうやめて! やめなさい」

 フミオの手首を掴むが、
 
「放せボケ!」

 と、振り払われた。

 だが、今日はこれ以上させたくないから、

「もうやめてって」

 もう一度、フミオの手首を掴みにいった。

「どけ言うてるやろ!」
 
 その時だ。

 フミオと三枝子が押し問答を始めたのを幸いに、相手の車は急発進し、信号無視のまま交差点を左折していった。
 
「くそっ、逃がしたやんけ!」
 
 フミオが憎々しげに振り向いたが、三枝子は負けずに訴えた。

「子供ら待ってるやんか。浜寺公園に行くって楽しみに。今日はピクニックやろ? お弁当も作ったのに」
 
 浜寺公園・ピクニック・お弁当という大好きキーワードに、フミオは、はたと本日の予定を思い出したようだ。三角形に集まっていたフミオの点描眉も元の位置へ戻り、フミオも黙って車に戻った。
 
 逃げた車への怒りは収まったようだが、フミオは妻の三枝子に説教を続けた。
 
 「教えといたるわ、よう聞いとけ。女っちゅうもんはな、男が決闘しに行く時は黙って行かせるもんや。それをギャーギャーギャーギャー止めに入って来おって。アホかお前は! ええか? うちのお母やんなんか、あんなんなっても、ひとっ言も騒げへんぞ。どっしり構えとんねん。それが正解じゃ、よー覚えとけ!」
 
 そして、おもむろに、後部座席を振り返り、娘の樹里に言った。
 
 「お前もな、もし男が喧嘩しに行くゆうたら、黙って行かせえ。ママみたいに止めに入るなんかしたらあかんぞ! ほっとくんやで、ええな? それが女の心得っちゅうもんや。分かったか?」
 
 「うん、わかった」
 
 小学2年生の樹里は、しかと胸に刻みこんだ。
 
ーー男が喧嘩にいくときは、止めたらあかん。


 それから約半世紀が経つが、樹里がフミオの言う<女の心得>を遂行する場面に遭遇することは、一度もなかった。
 
 今後も、きっとない。いや、絶対ない。



 
                  つづく

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