見出し画像

フミオ劇場 6話『サラ金のはずがヤク金』

 【15話は最後に貼っています。お時間ある方は、ぜひ順に読んでみてください】

 
 終戦後、フミオの住む大阪府堺市も急ピッチで復興が進められた。

 足袋工場が稼働し、商店街も姿を見せた。

 大人たちが懸命に働く間、まだ幼い子らは
 ゴマメ(ルール適用外)とされ
 大きい子供たちに混ぜてもらって
 日中を過ごした。

 子供たちは、どんな場所でも特別な道具が無くても、そこにあるものを使って遊ぶ。

 水切りという水面に小石を投げて、何回跳ねるかを競う遊びも、小石以外なんにもいらない。

「石の選び方が大事やぞ、平たいの選べ」

 弟の手のひらに小石を置いたフミオは
 まず見本を見せた。
 小石は勢いよく
5回、水面をはねていった。

 由紀男も真似て投げたが
 跳ねずにポチャンと川に沈んでしまった。


「身体はもっとななめや。真ん前向いて投げても、跳ねへんぞ、膝も使え」
 
 けん玉
 べったん(メンコ)の狙う場所
 チャンバラで相手をメッタ打ちする方法
 遠くまで飛ぶ紙飛行機の折り方

 フミオは
 あらゆる遊びのコツを弟に伝授した。

 
 由紀男は、教わった通りにやると
 友達に勝てるので嬉しかったが
〈なぜそうすると良いのか〉を
 こと細かく説明されるのだけは嫌だった。


 
 高校を卒業する頃には
 〈遊び必勝セミナー〉から解放されていたが
 兄弟で親の会社にいたので
 今度は
 〈新商品ワシのが早かった話〉で

 結局、捕まった。

 テレビで新製品のCMが流れるたび、

「由紀男、由紀男、来てみ! これ昔に思い付いてたやつや」 

 自分の方が先に考えてたと、訴えるのだ。


 昭和47年、筆ペンが大ヒットした時も机を叩いて悔しがった。

「この構造な、ワシ真剣に考えてたんや。図面も書いてたのになぁ、くっそうー」

「兄やん。前にも言うたけど、思いついたらすぐ調べて、特許でも取っときや」


「おお。そやそや」

 その場では頷くが、フミオのアイデアが世に出ることはなかった。


 だが、一つだけ実際に着手したものがあった。

 昭和30年代の終わりから40年代前半にかけて、現れたと言われる消費者金融業だ。

 サラリーマン金融、通称サラ金である。
 
 由紀男は、その少し前からフミオが同じような仕組みを力説するのを聞いた。
 
 景気は上向きで、人々の消費熱も高まっている。だが質屋以外に、庶民が気軽にお金を借りられる場所がほとんどなかった。

 
「どや。いけると思えへんか」  
「そやな」

 タイミングも目の付けどころも合っていた。

 さらにフミオには、資本金を調達できる父がいた。

 フミオの父、雄吉は、一代で会社を立ち上げて成功し、当時かなりの財を成した。フミオから話を聞いた雄吉は新しい事業になるかもしれないと考えた。
 
 なにより、雄吉は嬉しかった。
 
 フミオが大学中退後、自分のもとで働かせたものの、朝方まで博打をして遅刻を繰り返し、仕事に身が入らない。


 そんなドラ息子が、新しい商売を考えて任せて欲しいと言ってきたのだ。

 一人前になってくれることを期待して、雄吉は資金提供を承諾した。
 
 弟の由紀男は、事業には賛成だったが少しだけ気懸かりだった。

 昨年、フミオが素人では出入り出来ないと言われる、組の丁半賭場に潜り込んだのだ。

 負けがこんで、身動き取れなくなったフミオのもとへ、由紀男が50万程の現金を届け

 兄を誘った知り合いの組員に
 「うちの兄をもう誘わないで欲しい」
 と、頭を下げて帰ってきた。



 その時の記憶がよみがえり

 フミオが大金を扱うことに
 一抹の不安を覚えた。

 だが、父も応援しているから大丈夫だろう


 兄のアイデアがやっと形になることに

 由紀男も望みをかけた。




 そうして2,000万円程の資金を受けたフミオは、意気揚々と金融業を始めた。

 現在の大手サラ金会社が生まれた頃と
 ほぼ同時期である。



 時代の追い風と、親の資金力があったフミオの商売は、大成功しないまでも、大失敗する理由はどこにも無かった。

 しかし、フミオは失敗した。

 なぜか。


 金を貸す相手を大きく間違えたのだ。
 
 フミオはサラリーマンではなく、定職を持たない知り合いのチンピラやヤクザたちへ金を貸した。


 貸し倒れの種を蒔きにいくようなものである。

 素人のフミオが、回収できるチカラなど
 高が知れていた。

 フミオ金融業は数年で終わりを迎えた。
 サラ金でなくまさかのヤク金だった。

 父の雄吉が倒れて急逝したのは、この一連の騒動の後のことである。

 会社を継いだ長兄と母の孝江は、この時をもって、フミオを一族会社から追い出した。
 
 さらに孝江はフミオに、生まれ育った町から出ていくよう命令する。

 近所の博打仲間らと距離をおかせるためだ。


 大阪北部の住宅地に
 店舗付き一軒家を買ってやり
 その代わり
2度と実家に金の無心をしないよう

 約束させた。

 フミオの妻、三枝子はその地で夢だった
 喫茶店を始め

 フミオは亡父の旧友が口利きしてくれた
 小さな配送会社に勤める。



 昭和30年代後半から40年代前半の2,000万円を現在換算すると、相当に大きな額である。

 そんな大金を投じてあり得ない失敗をし
 計り知れない心労をかけた末に
 父を亡くしたフミオは
 生まれて初めて悔悟の情を覚え
 深く頭を垂れた。



 心を入れ替えて
 新天地で
 真面目に
 暮らし始める


 
 はず……だった。


 まともな神経の持ち主ならそうだが
 この男は違った。


                  つづく


🟣衝撃の番外篇🟣

 この話は、ほぼノンフィクションで、いまだに親戚中で語り草となっているフミオ最大の〈愚挙〉です。

 ひとこと言ってやりたかった私(樹里)は、この話を書き終えてから、御歳84となったフミオに電話で問うてみました。

 
「それにしても、なんでサラリーマンに貸さないで、ヤクザに貸したん?」

 すると素っとぼけた声が、聴こえてきました。

「ヤクザに貸した方が、回収早いと踏んだんや」 

 
「えらい踏み間違いやな、しっかし、あんな大金を捨てたも同然やなんて。ほんま、信じられへんわ」

 
 するとフミオは暫く黙り込んだあと

 軽い感じで答えました。


 
「ほんまはワシが半分くらい、つこたんやけどな」

 つ?

 つ?

 つこ?

 つこたんかぇーーーーー!!!




🟣🟣🟣




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?