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PTSD~生きづらさを抱える全ての人に捧ぐ(12)

※いま心の状態が安定されてない方は以下を読むと御辛くなる可能性があります。

複雑性PTSD

にわかに報道をざわつかせた「複雑性PTSD」という病名。昔お世話になっていた精神科医に「読むな」と言われても反抗して精神医学関連の本を読み漁った私でも初めて聞く病名だった。

私は報道が「複雑性PTSDという病は温かくまわりが見守りさえすれば、すぐによくなる」風の言い方をしたことが苦しかった。

私は誰かの結婚に文句をつけるつもりは、さらさらない。しかし、いかにも過熱する報道を黙らせるためにその病名を、会見直前に突如としてだすことには賛成できない。診断を受けた直後ならばコントロール不能の精神錯乱状態にあってもおかしくない。あの御二人の結婚を応援するSNS上のいわゆるリベラルの人たちもそこには一切触れないと見えた。

私は18年クリニックに通っても、一進一退、むしろ悪化しているような気もする。自分を責め、情けないと呪う日々。一生病と向き合って行かねばならぬかもしれない絶望感を抱えつつも、なんとか這い上がろうと、必死でもがいている。レントゲン検査や血液検査の数値で証明できるものなら証明したい、この無念さは当事者にしかわからない。「眞子さまはもう元気になったのに、オマエは怠けているだけだろう」という偏見が当事者の社会復帰の壁になることを怖れた。声なき声が踏みつけられる、無かったことにされると思い、この文章を書いている。

私と精神疾患

私は20代半ばで職場で倒れて救急搬送されてからというもの、かれこれ18年クリニックとの縁がきれていない。薬との兼ね合いで自動車運転と飲酒は御法度とされている(処方箋記載事項)。通院も薬も不要だったのはほんの6ヶ月程度。それは寛解と呼ぶにはあまりに短い。病院を変えたら治るかもしれないと、転院を繰り返す「ドクターショッピング」もやった。そのたびにいろいろな病名がつけられた。精神科医10人いれば10通りの診断の仕方があると言っても過言ではないほど。そのなかには、病名を患者に告げることで、その病名に患者が寄ってしまう(つられてしまう)ことを回避するために敢えて病名を告げない医師も数名。精神科にかかったことのない人にとっては意外にお思いになることかもしれないが、病名を告げない医者であるほど名医の可能性が高い。逆に1回や2回の診察で病名をダイレクトに告げる医師ほど、多量に薬を処方したりあまり良い思いはしていない。これはあくまでも私の経験則なので、汎用性があるかどうかはわからない感覚である。

私が今年やっと障害者手帳を手にしたのはマガジンに綴っている。ちなみに春に申請した障害年金の審査待ちは当初の予想どおり7か月目に突入。

私の身の回りに起こったこと

なにがきっかけで私の心が壊れたか特定、断定はできない。でもこういったことが我が身に起こると正気を保っていることはかなり難しい。

◆身近で起きた自殺者、逮捕者をだした事件

◆家族関係の対立、共依存、過干渉、束縛、ダブルバインド、罵りあい

◆療養中に準強姦(刑事罰は時効、民事時効20年の前に示談試みるも決裂)

私がこれまで悩まされてきた症状

抑うつ 痙攣 不眠 早朝覚醒 動悸 目眩 フラッシュバック 悪夢 吐き気 摂食障害 逆流性食道炎 光や音がしんどい(テレビが見れない)勝手に涙がでる 多量服薬 趣味が楽しめない 集中力低下(本が読めない)記憶力低下 解離(記憶がとぶ)パニック発作 自傷 性的逸脱 希死念慮 自殺企図…などなど

私はPTSDなのか?

弁護士に相談した際に、主治医に病名を確認するよう指示があった。弁護士も「もし、可能であれば」というように無理を強いたわけではない。ただ、私が弁護士に相談をもちかけたタイミング、ちょうど私は近所にできたクリニックに転院したところだった。転院した先の主治医は当然、「いま判断はできない」との答え。それが当然だと思ってそのままにしていた。

それから半年がすぎた。テレビを見みない私でもスマホを見ていれば、「複雑性PTSD」の文字が目に入ってしまう。病名はどうあれ、私は、私であると覚悟を決めてもう一度主治医に確認してみることにした。

主治医:「私は命の危険に晒された人だけにPTSDという診断名を使います。私はあなたには使いません。でも、あなたのことをPTSDだと診断するお医者さんもいるかもしれません。」

ここから、意外な展開に。私がグッと堪えて飲みこんでいたモヤモヤを見透かされたのか、それとも他の患者にも同じことを続けざまに質問されたせいなのか、主治医はこう続けた。

主治医:「ただし、私のなかで 眞子さま は(PTSDでは)ないです。日本の偉い先生がご判断されたのでしょう。」

私はいろんな意味で主治医に救われたし、大切なことを学んだ。

私もPTSDはベトナム戦争の帰還兵の症状に対してつけられた病名であることは知っている。私がそれに匹敵するまでに悲惨な状況に追い込まれたと主張するに値するか否か。主治医の示した基準には該当しないとすんなり納得した。それでも、医者によってはPTSDと診断することもあるだろうと、主治医は私のモヤモヤを全否定はしなかった。それだけでも十分だったのに、報道のことにまで私が言うまでもなく言及してくれた。それも、決して眞子さまバッシングというわけではなく、自分より偉い先生の判断なのだという具合に、主治医自らが私の感情の防波堤になってくれた。

私の主治医は何も私を甘やかしているわけではない。常日頃から言われているのはこんなこと。

主治医:「職場もご両親もあなたと会話をする準備ができていません。医者や就労支援センターなどにいる人間はあなたの話を聞くための準備や訓練をしています。社会復帰すれば、周囲はあなたとなるべく関係を持たないように距離をとります。これは仕方のないことです。あなたに仕事をしてもらいたいとは思っていても、あなたの話を聞こうとは思わないです。これだけは覚えていてください。」

なお、これは私というクライアントと主治医の信頼関係の間にだけ成立する会話である。敢えて学術的な論文やウィキペディアなどのリンクを貼らなかったのは、当事者の声を綴りたかったから。

理解を得難い、説得が難しいかもしれないことを説明するときに、どうやって相手にわだかまりを残さないようにして事実を伝えるか。精神科医として一線をひきつつも、譲歩できるギリギリの共感をしめしてくれた。私は主治医に感謝しています。

地球上で誰か1人でも見守っていてくれる人がいればそれでいいという境地に至った。もしも願いが叶うならこういう声もあると知って欲しい。

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