現代のアスリートと古代ローマの奴隷・剣闘士の類似性 -歴史的な背景から-
心のスイッチを切ってスポーツに広く関係する事柄を考えるシリーズ。今回はアスリートと奴隷の類似性である。
スポーツの語源が遊び・余暇を意味するラテン語の「デポルターレ」であることは、最近ではよく知られることとなった。しかし一方で特に観戦を含めるようなスポーツ選手の歴史や仕組みについてはあまり広く知られていないようである。
この記事ではスポーツ選手(アスリート)や関連の興業的な側面に注目して考察をする。
なお本記事で扱う内容は、あくまでも構造や仕組み上の話であって、スポーツ関係者を貶めるような意図は全くないことを予めご理解いただきたい。
現代の大規模な会場で選手の競技姿を囲い見つめる方式は、古代ローマの剣闘士の構造がほぼそのままの形で受け継がれている。以下の記事が参考になる。
剣闘士―パンとサーカスで有名な、民衆を熱狂させた古代ローマ帝国のグラディエーターたち―
要約すると、古代ローマ帝国では、政治家等権力者が、市民の人気取りのために、戦争捕虜の奴隷である剣闘士たちに殺し合いの競技をさせていた。それらのイベントは、剣闘士たちをサポートする興行師や訓練士やマッサージ師・医師らにより組織化してイベントを運営していた。
記事の中の説明にもあるように、ローマ時代の闘技場での競技を以下のように置き換えると、なんと現代のスポーツ業界とほぼ同じ構造をしている。
主催者→スポーツ協会・スポンサー大企業
興行師(ラニスタ)→クラブオーナー
剣闘士→アスリート
ローマ市民→一般観戦者・ファン
アスリートと剣闘士
よって、本記事の議論のメインとなるアスリートは、剣闘士に対応する。コロッセオやホールにおいて「市民を集めて競技を観戦をする」という基本的な構造は非常によく似ているが、異なる部分もある。
イメージ
剣闘士の扱いは売春婦同然であり、良いものではなかったようである。一方で現代のアスリートは、良いイメージでCMにも使われ、あこがれの対象ですらある。
人権・市民権
現代のアスリートと同じ立場にあった剣闘士は、大半は戦争捕虜の奴隷であった。剣闘士の大半は奴隷であるため市民権はない。一方で現代のアスリートは人権があり、選挙権もある。奴隷の労働には労働基準法は無かったが、現代には労働基準法や生活保護などの基本的な人権の尊重はされている。
負けても処刑されない
剣闘士はひどい負け方をした場合、処刑にされていた場合があった。一方で、現代のアスリートは試合で負けても、ブーイングを受ける程度で、最悪の場合で戦力外通告や解雇程度で、処刑はされない。
セカンドキャリア?
昨今はアスリートのセカンドキャリアが話題に上がるが、古代ローマ時代にも、剣闘士の引退後のセカンドキャリアはあった。
日本語では出なかったため英語で検索すると剣闘士の年齢は20-35歳。35歳で引退をするとしても当時の平均寿命は約40歳。5年間の余命である。
ローマの剣闘士の年齢は、20歳から35歳。平均寿命は約40歳。
Roman Gladiator’s Profile Gladiators were usually between 20 and 35 years old. the average life for a man in the Ancient Rome’s times was about 40. https://www.romeprivateguides.com/en/blog/about-rome/10-things-you-might-not-know-about-roman-gladiators.html
自ら志願して貴族などが剣闘士になる例もあったようだが、奴隷ではないので、自由に抜けることができたようである。引退後のセカンドキャリアとしては、コーチや監督と、まさにプロスポーツ選手と同じような形となっている。
剣闘士による見世物は殺し合いである。どちらか一方が死ぬまで戦うか、判定にもつれ込み、判定で負けたものは場合によっては処刑されることもあった。よって、セカンドキャリアが問題になるほどの人数が、引退までに生存残っていなかったのだろう。さらに強い剣闘士の場合には、客が呼べたりと、重宝されていたために、生存率は9割を超えていたそうである。正に「忖度運営」である。こうなればコーチや監督としても残りやすそうである。
現状アスリートのセカンドキャリアで問題になるのは、監督やコーチの枠が引退する選手よりも明らかに少ないところである。しかし剣闘士では問題にはならなかったようである。なぜならば競技である殺し合いで生存する剣闘士の数が減り、引退後のセカンドキャリアの平均的な長さも5年程度であったためである。
そもそも、先述のように、剣闘士の大半は戦争捕虜の奴隷である。奴隷の将来を憂いて構造を改革するような視点を持つ人のほうが少ないのではないだろうか。
マーケティングのたまもの
当時は剣闘士は、売春婦のような卑しい職業であったようである。しかし今ではアスリートはあこがれの的のような側面の方がメディアからは取り上げられることが多い。この点に関しての予想は、主にメディアによるマーケティングによるところが大きいと考える。
イメージとしても、卑しい人たちが戦っているよりも、かっこいい人が戦っているほうが観戦している人たちの心境もよくなるであろう。さらにイメージがよくなれば、広告としての付加価値が上がり、市民への満足度が上がり、周辺グッズなどの付随した産業も発展しやすくなる。さらに、あこがれて将来的に志願する人や子供にアスリートを目指させるも増えやすくなる。
これがもし、現代のアスリートやスポーツ選手が「売春婦と同等の奴隷」として認識されていたらどうだろうか?少なくとも、子供の将来なりたい職業にスポーツ選手が入ることは難しくなるか、順位は下がるはずである。
繰り返しになるが、昨今のスポーツ競技自体が「相手より多く点を取ったら勝ち」であることや「速く走ったら勝ち」というだけで、「負けたら処刑されることもある殺し合い」というルールではないだけで、興行的な側面の本質的な構造は変わっていない。イメージがよくなり、躊躇なくメディアで取り上げられるのは、それこそ長年のマーケティングのたまものである。
なお剣闘士の時代の競技の主催者は、市民票を集めるための政治家が主であったようである。現代のスポーツイベントの主催や協賛はスポンサー企業や協会などである。
アスリートを搾取するな!
という気持ちは痛いほどわかるが、仕組み上、搾取するような構造になっている。さらに一気にやめると周辺産業にも影響が出るので早急な改革は難しい。要するにアスリートのイメージを良く保つように持ち上げ、ごく一部のアスリートの人気のある時期に使い倒し、半ば使い捨てにするのが、スポーツ周辺の産業を発展させるという目線では最も効率と費用対効果が高いという仕組みになっている。
上記のような状況が、現在のスポーツの仕組みや構造の前提としてあることを、念頭に置いておく必要がある。
スポーツの領域は、上記の構造のまま、様々な利権や生業としている人が大勢いる時点で、この構造を変えることは難しい。変えようとしても自分の仕事や利益が目減りするのであれば、中止することは難しいであろう。実際にローマの剣闘士も発生から中止までに紀元前から紀元後にかけて、途中で奴隷が暴動をおこし戦争などが発生しつつ、約1000年ほどかかっているようである。
解決・改善方法についても、適宜公開していく予定である。
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