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変化が激しい時代を楽しむキャリアに。新卒で福島・小高に飛び込み、考えるキャリア観

VENTURE FOR JAPANは、地域のベンチャー・中小企業にて経営者直下のポジションで新規事業などに取り組みながら、自らのポテンシャルを解き放つ2年間のプログラムです。
2022年3月、2期生が卒業を果たしました。そのうちの1人、福島県・南相馬に飛び込んだ野口福太郎さんは、どのような2年間を過ごし、今何を考えているのか。ともに歩んだ受け入れ先企業「小高ワーカーズベース」の和田智行さんとのリモート対談をお送りします。(モデレーター:VENTURE FOR JAPAN代表小松洋介

ーきっかけが重なり、普通の大学生がローカルへ

(野口)僕は埼玉県で育ち、大学ではサークルとバイトを楽しむ普通の大学生でした。転機は大学3年目の中盤ですかね。就活にあたって、ベンチャー企業に飛び込んでいました。

野口福太郎:VENTURE FOR JAPAN2期生。埼玉県出身。大学卒業後、小高ワーカーズベースにてコミュニティマネージャーとして勤務。2年目からは小高パイオニアヴィレッジの事業責任者として小高の外と中の架け橋として現在も活動中。

よく「大企業なのかベンチャーなのか」といいますよね。僕のアイデンティティには「つくられた価値観を守っていくよりも、新しい価値観を起こしていきたい。王道ではなく邪道をいくことが面白い」とありまして。でも具体的に生涯かけてやりたいことはなかったんです。

ある日、大学とバイトを往復するだけのリズムが変わらない数日があったんです。その時にふと「自分の人生はこれでいいのか?」と危機感を覚えたんですね。実はもともとミニマリズム。もっと身軽に生きたいと思っていた時に「家すら持たない生活」をメディアで見て、面白いな、と。バイト終わりにゲストハウスに泊まってみました。当時はインバウンドブームで、多様な外国の方や日本人でも少し変わった大人に出会う機会となりました。何も変わり映えしなかった生活よりも刺激に満ち溢れており、このライフスタイルが面白いな、と傾倒していきました。

そこで出会う人は紆余曲折あって、今の生き方に落ち着いたという方ばかり。指示をされてやればいいのではなく、仕掛けて面白く、と考えられていました。自然と刺激的でもっといろいろなところに行ってみたい、と思うようになるなかで出会ったのが「ローカル」です。ポテンシャルを感じました。都市にはすでに多くの人がいるなかで、ぶっ飛んだ方が良さそうと。(笑)

ある日、Facebookであるイベントに友人が興味ありを押していたんです。「就職ちょっと待った」とのタイトルのイベントで「そんな道もあるのかも?」と思い、参加してみました。実はFacebookの仕様を知らず「興味あり」と選択していた友人に久しぶりに会えると思っていたのですが、実際には会えず。(笑)そこでVFJを知り「この道も面白そうだな」と。

人と一緒は嫌というのもあり、就職に振り切るのではなく、起業でもない、この道は面白そうだ、と。集まった人たちの様子からも、自分の人生図鑑にいない人に出会えそう、と興味を持ちました。

そこで、小高ワーカーズベースや南相馬・小高に出会うんです。一度リセットされてしまったエリアを再興させるという、なかなかやっていないことに興味をそそられました。

さらにその後、あるゲストハウスで、小高の隣町に住んでいる人と出会い、VFJや小高に興味ある話をしたところ、連れて行ってもらうことができて。大学4年の4月のことでした。東日本大震災から時が止まっている場所もあり、急に自分事になったんですよね。正直、震災当時は埼玉に住む普通の中学1年生だったこともあり、まだまだテレビの中の出来事だったんです。これを見てしまって、スルーするのは気持ち悪くなって。また「ゼロになった土地で100個の事業をつくって再興させるのはとてつもない道のりではありつつも、一番面白いな」と思いました。

さらに小高ワーカーズベースの求人はコミュニティマネージャー。多拠点生活やバックパッカーをしていた時は、バックの中に入るものだけで生きていたので、人のつながりから価値をつくっていくのが楽しいんだろうな、と思う価値観もあって。俺のための求人だと都合よく解釈して、受けたいと思うようになりました。

こんな10個くらいの要素が偶然揃って、今がある…という感じです。

ー「分からなけど面白い」自分にはないものを持つ2人で二人三脚がスタート

(和田)これまでも「地域に関わりたい」など、普通の就職ではない選択肢を選ぶ学生はたくさんいました。そのなかで野口くんの第一印象は「ちょっと違うな」と思いました。社会人としてのポテンシャルはもちろんのこと、アドレスホッパーへの経緯やバックグラウンド、小高に興味を持った理由が「あ、分かっているじゃん」というところがあって。(笑)

私は「自分が持っていないものを持っている人を採用する」とのポリシーがあります。アドレスホッパーは一生やらないし、その景色は見れないのでそれを知っている野口くんは「分からないけど面白そう」と思いましたね。

和田智行:(株)小高ワーカーズベース代表取締役。2014年、当時の避難指示区域にて創業し「地域の100の課題から100のビジネスを創出する」を掲げ、食堂やスーパーなど様々な生業を起こしながらローカルベンチャー事業の誘致・支援も行うなど、住民ゼロからの事業創出に取り組む。2019年にはゲストハウス型コワーキングスペース「小高パイオニアヴィレッジ」を開設。

(野口)僕が最初に和田さんとお話ししたのは、オンラインでの面接でした。一度ゼロリセットされたなか、100の事業をつくるのは逆張りもいいところだな、すごい胆力を持っている人なのだろうか…さぞかしエネルギーを持った人なのだろう、と勝手な印象を持っていたんです。でも想像以上に静か、溢れ出るエナジーとは真逆をいっていて、不思議だな、と思いました。

僕の特性として分かりやすいものには惹かれず、逆に興味が薄れてしまうんです。和田さんの奥底の見えなさが「この人何かありそうだ」と思いました。

(小松)事業だけでなく、ボスとして「この人と…」と思った?

(野口)そうですね、大きいですね。その人のビジョンによって「若者が戻らない」といわれていた地域でも若者で溢れ始めていて、住む場所に困るほどになっているんです。普通に勉強になるし、分からないからこそ、見てみたいな、と思いました。

(小松)入る前は、どんな2年間をイメージしていましたか?

(野口)事業をつくって、起業できるようになるのだろうか?未来の自分に勝手に期待する、放り投げるような感覚でした。実際のところ、事業づくりは体系化されているけど、コミュニティマネージャーはないんですよね。今でさえ少し盛り上がっていますが、指示もないし、何をやったらいいか分からない。動き方すら分からず、ギャップはありました。

(和田)僕たちも「人を育てること」は、体系的なものを持っているわけではありませんでした。本当に申し訳ないけど、任せながら試行錯誤させるしかできなかったんですよね。そもそも社会人も1年目。野口くんも業務の進め方や連携には手探りで、時に立ち止まる瞬間はあったのだろう、と思っていました。でも最初は陰ながら応援するくらいしかできなかったのが、正直なところでしたね。

(野口)最初は2つのスペースの運営をするなかで基本的な仕事は覚えていきながら、人とのコミュニケーションから地域での立ち振る舞いを学んでいました。転機は2年目ですかね。事業責任者になって、仲間の入れ替わりもあるなかで、全てを任せてもらえるのがありがたいと思いました。

「これをやれ」というのではなく、構造化して、タスクに落として進んでいくことができるようになったんです。最初は何かあった時に、同じチームの人に相談をしたり、和田さんにお願いしていましたが、自分でやっていく、手離れが起きているような感じです。

(小松)任せてもらい、自分で考えながら、会社のことを知ろう、地域を知ろう…と積み重ねていったんだろうね。和田さんが仕事を振っていただいたことが、野口くんの成長をつくっていったのでしょうね。

ー小さな積み重ねで「しんどさ」が「うれしい出来事」に変わる

(小松)2年間で、一番しんどいなと思ったのはどんな時でしたか。

(野口)精神的にこれは…と思ったのは、責任者になってから、秋頃に慣れからくる慢心であった出来事ですね。普段から利用してくださってる方にご指摘いただいたんです。もともと人のネガティブな感情に触れるのが嫌いな人間なので、精神的にきつかったですね。相手のなかで前々から積み重なっていたものが、自分のタイミングで崩れてしまって。誠意を持って謝罪をし、今後の改善についても話をしました。いろいろあっても最終的に責任を持つのは自分なんだ、と覚悟というか腹落ちをした出来事でした。

(小松)事業責任者として、1年間の積み重ねがなかったら違ったようにも思いますね。

(和田)いってしまえばそんな大したことではないけれど、落ち込んでいたし、クレームはクレーム。僕が積極的に前に出てカバーすることはできたけど、事業責任者がまず対応するべき。試練というかやってもらわないとな、と思って眺めていましたね。もちろん拗れたら出ようかな、と思っていましたが、もともと相手との関係性もあり、対応する難易度は低い、これはクリアしてもらうべきだと思ったんです。

(小松)やはり大切なのは「信じてくれる」ことだと思うんですよね。いい意味で任せてもらえ、さらに信じてもらうことは成長にもつながるんですね。それは成長するよな、と思います。逆に一番うれしかったことはどんなことですか?

(野口)2年間で昔の知り合いが多く訪ねてくれました。和田さんのビジョンに乗った僕ですが、この町の盛り上がりや面白さを価値として感じてくれて。「熱いね」といってくれるその瞬間に来てよかったな、と思います。

昔は完全に「よそ者目線」で小高を見ていました。今は、いい具合に地元の人の目線も獲得して、間に立てる価値となったんです。移住者にも「紹介してくれたおかげ、生活が楽しい」といってもらえると「コミュニティマネージャー冥利に尽きるな」と。

遊びも仕事も境界を曖昧に。昔の旅人時代に仲良くなった、HafH代表の大瀬良さんが遊びにきてくださった時の一枚。

(小松)和田さんから見て、変わったことはどんなことでしょうか。

(和田)やはり最初はお客さんというか、コミュニティマネージャーだけど、輪の外でしっぽり飲んでいることもありました。(笑)でも今は変わりましたね。特に移住者や同世代の人とのコミュニケーションでは地元の人になっているな、と。とりあえず若い子がきたら、野口くんにお任せしています。

また彼は車を持っていないので、移動するにあたって人の力が必要なんです。いろいろな人にそれぞれ頼みながら、移動して目的を果たしている。自分だったら頼まないような人にも頼んでいたりとか、完全に地元の人だな、と感じます。(笑)

(野口)地方で車を持たない僕は異端者ですよね。(笑)

(小松)野口くんが地元の人になっていったのも、和田さんが任せてくれたから。コミュニケーションの積み重ねで、しんどい経験でも信じてくれた。それを積み上げていったから、逃げずにど真ん中に入って行ったからだろうな、と感じました。

ー「いずれは自分の力で生きたい」人にオススメしたい。仕事やサポート体制も全て特別な2年間

(野口)やはりVENTURE FOR JAPANの魅力は、都市の完成された企業のもとでは味わえない幅広い仕事、深さでしょうね。社会人1・2年目でこのような機会をいただけることは醍醐味だな、と思っています。

(和田)私でも話を聞きたいと思う講師陣や女川で取り組まれていた小松さんから、ローカルで物事をつくり、推進していくことを学べるところはいいですよね。本来私たちがやらなければならないことを、より高いレベルでやってもらえるところに期待していたし、実際の魅力だと思います。

(小松)和田さんにお伺いしますが、求人をつくる側でも普通とは少し違う採用だと思います。実際いかがでした?

(和田)任せることを考えた時に、私が推進する仕事のサポートよりも「やったことがないものを任せてやってもらおう」と意識しました。そこでコミュニティマネージャーの募集にたどり着いたんです。経験者を採用する選択肢もありますが、分からない仕事でもある以上、ポテンシャルがありそうな、真っ新な若い子を…と。VFJならでは、と思ったんです。

人前に立つのはお手の物。U29の起業支援プログラムにて、メルカリの会長小泉さんをお招きしたイベントの総合司会・モデレーターを務めました。

(小松)なるほど、感慨深く聞いてしまいました。野口くんには、VFJの同期や先輩などのコミュニティについてもお伺いしてみたいです。

(野口)そうですね、いくつかありますが、同期など別の地域でも同じポジションで頑張っている人は価値として第一にあげたいですね。一人、孤独よりも、みんなで…との想いはあり、遠い空で繋がっているよ、と。(笑)半年ごとにある研修で、一皮剥けているんです。刺激になりました。後輩も「起業しちゃったよ、すごいぞ」と。

第二に、任されて強くなる、成長することが第一目的ではなく、中長期的に捉えて、ライフビジョンやキャリアプランを考えたりする機会はありがたいと感じました。一人だったら、短期間でキャリアプランを考えるなどは絶対しないですしね。

第三に、メンタリングで外から知見をいただけることは重要なことでした。行き詰まった時には、人と話をしてひらめきや解決の糸口を探ったりというタイプなんです。メンターの方にはお世話になりましたね。

(小松)確かに研修を振り返ると「時間が足りない」と一番言われるのが、振り返りとキャリアプランの時間でしたね。2期生それぞれが経てきた時間を説明して、互いを認めたり、歩む未来を応援する時間は良い時間だったと思います。また二人の対照的な姿を見て、それぞれが気づきを得る対話の時間はいい時間だった、と横で見ていて感じていました。

(野口)強くオススメしたいのは「将来的に何か自分で形にしたい」と考えている人でしょうか。2年間の経験を積み、戦力をつけて自分自身でやりたいことにコミットする。すぐに起業したい人はそれをやればいいと思いますし。

ー変化激しい時代に楽しむキャリアを。2年間を経た想い

(野口)今振り返ると、自分を磨き社会を知る2年間だったかな、と思います。人との出会いやさまざまな課題を通じて人生の長い時間をぎゅっと凝縮した時間でした。ローカルは都会をぎゅっとした縮図をしたような感じなんです。社会はこういう風になっているのか、と。

(小松)今後はどうしたいですか?

(野口)自分で何かをやりたい、と思う旗揚げ役ではなく「誰かと一緒に」がキーワードであると気づきました。誰かの想いをどう実現するのか、を考えていくのが面白いんです。自分ができる「コミュニティマネジメント」の需要は高まるでしょうし、事業をつくり拡大させる「ビジネスディベロップメント」の領域を掛け合わせて。

またもともと飽き性なので、ずっと同じことをやるよりも、変化の波に合わせてその時やりたいこと、仲間と面白いと思えるようなことに、全集中しながら、少ししたらまた少し違うことをして…と。変化がより激しくなる時代だからこそ、楽しむキャリアを歩みたいと思っています。

(小松)和田さんからみて2年間の野口くんはどう変化しましたか?

(和田)最初はどう動いたらいいのか分からない、ハマっていない感じでした。でも今や、責任者として完全に任せられるようになりました。しかも単に与えられた課題や業務に対応するのではなく、自ら課題を見つけて解決したり、逆に提案して仕掛けてくれて。本当に大きな変化で、採用時の期待通りだな、と思っています。事業責任者になったのは大きいですが、そこに至るまでにも自分自身で課題やよりいい動き方などの思考や想いが溜まっていたのだと思います。

ーこれからも続く、ビジネスパートナーとして経営者と対等な唯一無二の存在に。

上段左から:野口さん・和田さん、下段:小松

(野口)和田さんは私にとって、昔は「縦の存在」でした。でも今は少しずつ…「横」まではおこがましいですが、ディスカションパートナーのようになりつつあると思っています。今は事業責任者だけでなく、さまざまな業務に関与しています。事業、会社、地域の目線や時間軸もさまざまな点が面になって、色々見えてくるんです。あと1・2年で対等になれればいいなと思っています。

(和田)僕はもう対等な立場にあるかな、と思っています。(笑)上から目線で教えることもないし、さまざまな事業を手探りでやっているなか、自分も分からないことがあるんですよね。年代も異なり、自分にない視点、感覚を期待しています。期待して意見を求めることもあるし、もう上司・部下よりも事業のパートナーとして任せられますよ。

(小松)VENTURE FOR JAPANの醍醐味として、こういう経営者さんとの関係を築けることも価値ですよね。お二人の関係はずっと続いていくはずで、密な関係を築くすごく大きい2年間だった、と思います。今日はありがとうございました。

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