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『白髪染めは若返りの魔法』

髪を染めるにもいろいろある。
白髪を染める、黒髪に染める、インナーカラーを入れる、ブリーチで脱色する。
それがたとえどんな色であっても、個人的に『髪を染める』という行為に共通すると思うのは、単純に“気持ちが沸き立つ“ということ。

新しい自分に生まれ変わるような。
ウキウキするような、楽しい気分。

髪を染めたからって運が良くなるわけではないし、宝くじが当たるわけでもないけれど。
でも、人生を楽しく歩いていくための、元気の源にはなってくれる。

そのことを強く感じたのは、7年前の出来事がキッカケだった。


7年前の梅雨。母が倒れた。
あまりにも突然の出来事だったが、母はその日から病院に入院することになった。

入院した期間は1週間。
文字だけ見ると意外と短い、と感じるけど、実際に大変なのはここからだった。

いつのまにかお腹に出来ていたとんでもない大きさの腫瘍を摘出したので、まあ、当然のことながら腹をかっさばいたわけで、退院しても、その傷口がふさがるまではほとんど何も出来なかった。

痛みで立てない、動けない。
歩くこともままならない。

傷口が開いたり、濡れてしまわないように、お風呂に入るのにも気を使うし、退院後から1ヶ月間は、私が母の髪を洗ってあげていた。

外にも満足に出られず、仕事にも行けない。
リハビリとして家の周りをウロウロと散歩はしていたけど、それも最初のころは支えがないと歩けなくて大変だった。
私が仕事の日はついて行ってあげられないから、外を一緒に歩くことも出来なくて。
もともと寂しがり屋の母は、ひとりであまり外に出ることもなくなった。

そうすると人間ってのは不思議なもので。
気分までクサクサとしたものになってくる。

日に日に落ち込んでいく母。
このまま鬱になるんじゃないか、
と気が気でない私。
休みの日にどこそこに遊びに行こうよ、と誘っても、そのうち、母はそれすらも嫌がるようになった。

「こんな頭じゃ、恥ずかしくてどこにも行けないよ」

母はもともと若い頃から白髪が多い人で。
私がそれを指摘すると「これはお母さんの苦労の勲章なのよ」と少し自慢げに言う人だった。

年を追うごとに白髪染めが欠かせなくなった。
勲章ではあっても、白髪まじりの頭で外に出かけることを良しとしない人だった。
それは女としての矜持なのだろう。
なまじ美人に生まれたから、老いていく自分の姿をそのままにしておかない人なのだ。

退院からしばらくして。
傷口がふさがるまで白髪染めが出来ない母の頭は、半分くらい真っ白になっていた。

鏡でそれを見るたびに「恥ずかしい」と口にするようになった。

「こんなお婆ちゃんみたいな姿、誰にも見せられない」とため息まじりに言うようになった。
美容院で染めたらいいんじゃないか、と私が言っても、母は頑なに美容院に行かなかった。

母は昔、美容院でてんかんの発作を起こして倒れたことがあるので、髪を切りにいくのは別だけど、あまり長い時間、美容院で過ごすのを嫌がる人なのである。

美容院で染められないなら、当たり前の話だが自宅で白髪染めを使うしかない。

そしてそれが出来るのは、私しかいなかった。

傷口が完全にふさがるまで、とか、悠長なことは言ってられない。
ちょっと早いけど、染めるしかない。
私は仕事帰りに、母がいつも使っていた白髪染めを買って帰って、そして。
「今日染めるよ!」と、印籠のように母に突きつけた。


チューブの中の液体をボトルに注いで。
なれた手つきでシェイカーのように振る。
くるくるとふたを開ければ、つん、とした独特の刺激臭が鼻についた。

これまでも、母の髪は私が染めてきた。
だからこれはなんの変哲もない日常のワンシーンで、別に特別なことをしているワケじゃない。

それでも、母の髪にペタペタと液体を塗りたくりながら、ただ願っていた。

『お母さんが元気になりますように』

また笑ってくれますようにと。

まかりまちがってほんの少しでも液体が傷口に触れないように、お腹にバスタオルを何重にも巻いて、髪染めの液体を洗い流した。

頭がかゆくならないように、2度、髪を洗う。
あんなに真っ白だった母の髪は、見慣れた茶色に戻っていた。

なんだかホッとした。
手術前の母が戻ってきたような気分だった。
もちろん、母が一生懸命押さえているバスタオルの下には大きな傷口があるのだけれど。
それでも。見慣れた母の姿に、実は私がいちばん安心していたのかもしれない。


髪をドライヤーで乾かしてあげるときに。
母は茶色に戻った自分の髪を見た。

「ああ、よかった」とにこやかに笑った。

「やっぱり、こうじゃないとねえ」
自信たっぷりに、嬉しそうに。
前から横から、自分の姿を見る母の顔にはずっと笑顔が浮かんでいた。

いつものお母さんだった。

別に白髪頭の母が嫌いなわけじゃないけど。
髪を染めたあとの姿は、いつだって見慣れてきたものだけど。
「やっぱり、母はそうじゃないとね」
と私も思った。

不思議なものだ。
たかが髪色ひとつで人の表情はこんなに変わる。

白く染まった自分の髪を見て、あんなにがっくりと肩を落として、寂しそうな、悲しそうな顔をしていた母の顔が。
そんな影もなく、パァッと明るくなっていた。

それから、母は外に出るようになった。
私がいなくてもそのへんを散歩したり、近所の人と話をしたり。
休みの日には買い物に行って、体調が良い日は遠回りをしてカフェでランチを食べた。
もう、外に出ることを嫌がらなかった。


白髪がいいとか悪いとか、そんな話じゃなくて。

“なりたい自分“になる手助けをしてくれるのが、きっと髪を染めるということ。
それはまるで魔法のよう。
誰にだって扱える、若返りの魔法なのだ。

少なくとも、私はあの母の嬉しそうな顔を一生忘れない。魔法にかかった人の顔を忘れない。

髪を染めたくらいで、運が良くなるわけでもないし、宝くじが当たるわけでもないけれど。
だけどきっと、人生を豊かにはしてくれる。

外に出る勇気をくれる。
人と会う活力をくれる。
自分自身を好きでいられるようになる。

人生を楽しく歩いていくための、原動力。
ほんの小さなきっかけで人は変わるのだ。

大袈裟かもしれないけどね。

もしもサポートをいただけたら。 旦那(´・ω・`)のおかず🍖が1品増えるか、母(。・ω・。)のおやつ🍫がひとつ増えるか、嫁( ゚д゚)のプリン🍮が冷蔵庫に1個増えます。たぶん。